成人の日の今日。37歳の燃えるお兄さんが大人になるということを改めて考えてみる。

未来拓く、みうらひらくです。

もはやお兄さんって呼んでくれるのは妹の旦那くらいか…。

成人式を迎えたからといって、大人になれるわけじゃない。
こう書いちゃうとイタタタタ…ってなっちゃうよね、きっと。

民法より…

第四条 年齢二十歳をもって、成年とする。

決まっています。

別に成年するってことと、大人になるってことの違いを論じようってことではないっす。
時間掛かりそうな話だしな。

大人になることというのは、いったいどういう意味を持つことなのか。
昔…特に中学生から高校生の頃はよく考えていました。

何のために生まれてきたのか…とかね。
思春期にありがちなパターンでしたな。

そっから哲学に傾倒し、音楽に浸かり、それでいてモテたくてしかたなかったため、もう背伸びしまくっていましたね。

この方向性は観念的な内容になりそうで危険か。
しかし成人の日の今日、みずからの黒歴史をあえて晒すことで先へ進もうという…この贖罪的発想。
イタタタタ…。

結局これは今でいう中二病ってやつなのかね…自分が幼い頃はピーターパンシンドロームって言葉をよく耳にしていました。
一応wikiでも貼っておくか。
中二病について
ピーターパンシンドロームについて

子どもの頃…変に悟りきった大人になるくらいなら、子どものままでも良いんじゃないかと考えていた時期があったのは確かです。
いや、もちろんある程度放っておいても体が成長していくのは理解していましたけど…心というか考え方の部分でね。
薄汚い大人になりたくない、的なやつですわ。

そしてあのバンドの誕生である。

TRUE-REBEL
は東京での結成こそ1999年ですが、バンド名とコンセプト誕生は中学校時代、実際の活動は高校時代にスタートしていました。
悪友とスタジオにこもり、センター試験の前日までデモテープを作ったり、それを受験シーズン真っ只中で同級生が殺気立つ(?)校内で販売するという傍若無人っぷり。
先生方の中にも、買ってくださった心優しき方々もおられたのぅ。

中学校から高校に進学し、友人関係や家庭環境の変化、モテてるのかと一瞬勘違いするような時期もあったりして、自分の中にも色々と変化が起こりました。

変化することへの恐れと期待。
葛藤の中にあるアンビバレントな感情を音楽のみならず、生活そのものに反映させていた当時の自分は、かなり”ヤバい”存在として周囲に迷惑を掛けまくっていました。
お世話になった方々への感謝を忘れてはならないと思っています。

REBELってのは反逆者って意味。
しかしそれは何にでも唾を吐きかけるようなアナーキーな意味ではなく、みずからが間違っていると感じたことに反逆するという思いを込めたバンド名でした。
そこに象徴される精神性は、今もなお自分自身の考え方の一端を担っていると感じています。

ま、いまだに昔を引きずっているとも言えるし…成長がないと言えるのも確か。
でも人間って…大人になる前に真剣に考えていたことは、大人になってからもきっと大切なんだと思うのです。

そもそもいくら法律的には線引きがあっても…現実的に今日からハイ、大人ですってものでもないわけでしょう、心と体は。
徐々に徐々に大人になっていくわけで。
身体同様、精神面でも個々人の発育スピードに差があるのは当然のこと。
だからこそ、大人になるというのは20歳になるとか、18歳になるとか、本当はそういうことじゃない。

だったら何か?

正直、自分自身が親となった今でもハッキリとはわかりません。
これこそが正解ですという一つの答えがある問題じゃないと考えています。

ただ間違いなく言えるのは、大人≒成年とみなされることで生じる義務と権利に見合うだけの、責任を取らなくてはならなくなるということでしょうか。

ある時期から、何のために生まれてきたのかを考えるよりも、いかに生きていくべきかを考えるようになりました。
時間に限りがある以上、思い悩む時期があっても構わないとは思うけど、なるべくその期間は短い方が良い。

変化は夢なんかじゃない。

おそらく大多数の人よりも私は楽天的な人間です。
そんな自分でも、時に生きていく中で思い悩むことはあります。
ま…ほとんどすぐに決断するけど。

変化したくないと考えていた自分自身の考え方の一部ですら、時の流れとともに多少なりとも変わってくることがあります。
そうした目を背けたい事実からも、逃げずに受け止め決断する。
それがきっと責任を取るということでもあり、大人になるということにも繋がってくると思うのです。

先だって決定した18歳選挙権の導入は、個人的には非常に歓迎すべきことだと考えています。
少子高齢化に起因する様々な問題に立ち向かうために、若者世代の声を政治に反映させていくシステムを整えることは喫緊の課題です。

年明けから各種メディアで18歳選挙権について取り上げられていましたが、昨日今日もニュース等で色々な報道を目にしました。

成人式も18歳からにすべきという意見があるようです。
選挙権のみ18歳からに変更という現状には、自分も少し違和感を感じています。
意見が分かれるところでしょうが、飲酒や喫煙…論議すべき課題は数多くあります。
一つひとつ解決していかねばならないのでしょうが、18歳、19歳が参加する最初の選挙はもう次の夏です。

民法では20歳からと定められている成人。
少年法も含め、改正された公職選挙法との整合性を取っていくことも重要ではないかと考えています。

子供の頃、大人から「私が子供の頃は…」という話を聞かされた人は多いのではないでしょうか。
確かに全く違ったものだったのでしょう。

同様にやはり、私も今の若い世代の方々と話をすると「コレがジェネレーションギャップか…」とみずからのオッさん化を痛感させられ、凹むことがあります。

凄いな、何でそんな発想が出てくるんだよということもあれば…何でこんなことがわからないんだろう、というような感じ方をすることもあります。

でも、それって世代間でどうしても起こり得ることで、ネガティブに捉えても仕方ないのではないかと私は考えます。

非常に難しいことであるのは重々承知ですが…それぞれが世代の違う相手へも敬意を払い、頭ごなしに否定することをせず、それでいて率直な交流を図ることで、新しい時代をより充実したものにできると信じています。

集合知による温故知新。

古いものの中にも良いものはある。
新しいものの中にも良いものはある。
それぞれの良いものを残し、思い入れがあったとしても(コレが超難しいんですけど)捨てるべきものを捨てて、すべての世代で今現在とその延長線上にある未来を切り拓いていくことができれば…めっちゃイイんですけどね☆

実際には厳しいストーリーだとわかっています。
でも頑張ろう。

そーゆーわけで18歳であろうと20歳であろうと…37歳のオジさお兄さんであろうと。
人間日々コレ勉強で精進していかねばなりません!!

ま、成人の日くらいはお兄さんで何とか許してやってくださいな。
アイキャッチ画像の髪の毛の豊富さが時の流れを物語る。
今日はダラダラ書き過ぎた…反省。

お読みいただき、ありがとうございました。
また明日。

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三浦 ひらく

三浦 ひらく -PROFILE-

世界を暮らしやすく楽しく変えるため、相棒ひらくマと一歩ずつでも現状改善していくために日夜ハゲむ、1978年生まれの岡山県津山市議会議員。選択肢の多い社会を目指し、政治も手段の一つと捉え、地域振興、多様性理解促進、生きづらさ解消、表現の自由を守るための活動、インフルエンザ脳症撲滅、臓器移植意思表示推奨などをライフワークとして活動している。

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