友達、仲間、チーム…そして人工知能。政治家こそクリエイティブであるべき…集合市実現のためのチームは桃太郎ではダメなんじゃ。

未来拓く、みうらひらくです。

テクノロジーの発達は、かつてSFの世界での夢でしかなかったものを現実とし、さらに日々進化し続け、私たちの暮らしを豊かにしています。

インターネットは新しい形の人との繋がりを生み出しました。
今では直接出会う前からお互いのことを家族並みによく知っている、なんてケースは決して珍しくなく、私の周囲でもネットで知り合って すぐに結婚した…なんて話すら耳にします。

そのご夫婦は一度も会っていないのにネット上で婚約していたとか…。
自分の感覚では『マジっすか!!』ってのが正直なところですが、そういった”常識”すらテクノロジーの発達、つまりは時代とともに変化していくものなのかもしれません。

考えてみれば、同じ日本でも戦国時代には現在の常識なんて全く通じなかったはずですし…そこまで遡らずとも、ほんの100年前の常識は、今の時代では非常識になることが少なくないでしょう。

そういった意味では友人や仲間との関係性も、時代とともに変化するものの一つかもしれません。

例えば私も利用しているFacebookというサービス。
実名登録を基本としたSNSですから、現実社会で繋がりがある人とのコミュニケーションツールという性格が基本なのかもしれません。
ですが現実的にはFacebook上でそれほど多くの数の”友達”がいるわけでもない私ですら、実際に会ったことがない”友達”は少なくありません。

実は自分は数年前まではPCに触れたことがないに等しかった人間でして…インターネットやSNS自体を嫌い、避けていた傾向がありました。

それゆえ(?)そういった方々を”友達”と言い切るのに抵抗がないといえば嘘になりますが…これもまた時代の流れですし、実際に積極的に利用し始めてからは、メッセージのやり取りをする内に、面識がなくとも相手に対し親近感を覚えることがあるのは確かです。

実際に会う、会わないは大きな違いだと今でも思っていますが…私のような人間のそういった気持ちを埋めるだけのテクノロジーが出てくるのも、そう遠い未来ではないのでしょう。

現時点での個人的な見解としては…人と人としてある程度の時間を共有し、何かを行うことには意義があると思っていますし、そうした経験を共にすることにより深い繋がりが生まれることは事実だと考えています。
特に幼少期や若い頃…要するに昔のキラキラした記憶は美化されがちですから、その頃を共にした相手には特別な思いがある方は少なくないのではないでしょうか。

ですが、私は特にここ最近…それこそネット経由や紹介などで、ほんの数回会っただけの人であっても、その短い時間を濃密なものと感じさせてくれる相手であれば、時間の短さは問題にならないと感じるようになりました。

昨年いくつかの素晴らしい出会いがあったことが、そう変化した大きな理由となっていると思います。
そうした人たちに対して自分が抱く感情は”友達”というのとは少し違う気はしますが、勝手に仲間だと思い込んでいる部分はありますし、大切なものだと感じていることには変わりはありません。

まぁ一方的なものでは仕方ありませんけど…そもそもどういう間柄であれ、相手が自分を腹の底でどう考えているかは結局、わかりませんからね。

自分が魅力を感じている相手に対して、自分自身も魅力を感じてもらえるようになるためにも、日々努力を積み重ねていくことに意味があるわけです。

”友人”と”仲間”ってのは違いが難しいけれど、基本的には同じようなものといえるでしょう。
先日聴いた講演会の内容で現在、求められているチームの理想形は超人気漫画『ワンピース』に出てくるような仲間の集団で、得意分野・目的も異なる人たちの集まりだという話が出ました。
自分としてはとてもいい例えだと感じました…ワンピース知らないと話にならないかもしれませんが。

桃太郎のように大将が一人いて「きびだんごやるからついてこいや!!」ではダメだということ。

そういうメンバー、仲間が集まったチームは仕事がはかどるはずです。
そして自分が実現を訴えている集合市はまさしく、そうした人たちの集まりとしての自治体というイメージなのです!!

目的が異なるメンバーが、利害関係が一致する部分が大きいという理由で、一つの問題に立ち向かう時を想像してみてください。
その時にメンバーの数が多ければ多いほど、その一致する部分は小さくならざるを得ない。
ひょっとすると、それこそ重ならない部分が出てくる人も生まれるかもしれない。

その調整をしていくこと、幸福量の最大化を目指すことが政治家の一つの責務だとすると、友人関係や仲間を捨てられないという理由で、判断に躊躇する部分が生まれ、間違った決断をすることになるかもしれない。

端的に簡潔にいえば、それこそがしがらみの本質かもしれません。

そうした見えない拘束から逃れ、利害関係の複雑に入り組んだ異なった価値判断の中から税金の再分配という職務の遂行を滞りなく済ませるのに最も適しているのは…実は人間の政治家ではなく人工知能かもしれないという説も、今や笑い飛ばせる時代ではないのです。

当ブログにて毎度お馴染みの東京都新宿区議、伊藤陽平さんのブログを是非チェックしてみてください。
コンピュータに代替される仕事は政治家だけじゃない。
あの超有名SF作家のタッチを彷彿とさせる、人工知能が書いた小説も読めますYO!!
俺なら書ける…と、言いたいけど…どうかのぅ。

しかし、政治家が議会で果たしている仕事の中には人工知能で代替できることもあるでしょうが…現時点では選挙を人工知能が行うことは不可能ではないでしょうか。

選挙に挑戦した身として、実際に戦ってみて、あの日々は人間ではないと務まらないと強く感じます。
仲間や友人、チームの大切さという意味でも、まだまだ人工知能に任せられるような性質のものではないと思います。

夢のテクノロジー、人工知能の発達により…実際に近い将来、いくつかの職業は人間の手による必要がなくなるかもしれません。
人間らしさが必要な仕事、クリエイティブさが必要だとされる仕事は、人工知能に負けない…人間が行うべきとして残るべき仕事だと伊藤さんも書いておられます。

しかし、政治家にこそクリエイティブさを求めるべきだと感じているのは自分だけではないと信じています。

それでは今日はこんなところで。
また明日!!

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三浦 ひらく

三浦 ひらく -PROFILE-

世界を暮らしやすく楽しく変えるため、相棒ひらくマと一歩ずつでも現状改善していくために日夜ハゲむ、1978年生まれの岡山県津山市議会議員。選択肢の多い社会を目指し、政治も手段の一つと捉え、地域振興、多様性理解促進、生きづらさ解消、表現の自由を守るための活動、インフルエンザ脳症撲滅、臓器移植意思表示推奨などをライフワークとして活動している。

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