「ネット選挙をやるつもりらしいな?」「ハァ?」そして落選したPC音痴男がネットを駆使してまちの未来を明るくする方法を考える。

未来拓く、みうらひらくです。

選挙挑戦時、たった一人の30代候補だったこともあり(20代はゼロ…)、何故かパソコンを駆使して戦う男という評判が出回っていて驚いたものです。

何しろ私、スーパーPC音痴でしたからね。
そもそも数年前まで持ってもいなかったし…理由は”何となく嫌い”だったから。
そんな私が若いってだけで(といっても当時36歳…)、そういう風に言われるのもスゴい話です。

今では少しづつ…超我流ですけど、やってみています。
嫌いだったけど食べてみると、今までに食べたことがない味がする…しかもコレ、味が変化し続けるのです。

さて過日、友人アーティストが先輩ギャラリストとタッグを組んだ作品展に行く機会がありました。
芸術というものへの憧れが幼い頃から人一倍強かった私は、自身が芸術と縁遠い生活を送るようになった今でも、そういう場に身を置くことに喜びを覚える人間です。

アートに何を求めるかは人それぞれで、何を感じるかも自由だと考えています。
そもそも何をアートとするかということすらもその人次第。
あるいはその日の気分によってさえも変わるものといえるのではないでしょうか。

私たちの生活に彩りを与えるものとしての芸術という視点もあれば、ビジネスとして成立してこその芸術という考え方もあります。

個人的には正直、芸術とビジネスには一定の線引きを期待したい向きではあるのですが…多くの人にとって価値を認められてはじめて、その作品が自己満足から芸術に昇華するのではないかと思います。

要するに私にとっては、自己満足の域にとどまっている状態…つまり誰一人として理解者がいない状態では、それは芸術とは呼べないということです。
なんて書きつつも、価値観を押し付けられることは超嫌いなんですけど。

芸術と政治を結びつけるのは不粋の極みといえるかもしれませんが、政治やその他のジャンルに関しても同じことで…やはり他者にある程度理解してもらえてはじめて、そこに価値が生まれるのではないかと考えているのです。

アインシュタインが相対性理論を世に送りだした際、理解できたのは世界中で3人しかいなかったとかいう逸話というか都市伝説(?)を耳にしたことがある人もいるでしょう。
今、その話が事実かどうかは問題ではなく…もし仮に当時、一人も理解できなかったとしたらどうなっていたでしょうか?

後世にその名を轟かす大天才も、もしかすると評価されることなく世を去ることになったかもしれません。

閑話休題。

私が住む岡山県津山市では美術館新設の話が出て久しいですが、現在どういう進捗状況であるのかを把握している方は多くないと思います。
実際、私などはほとんど情報を持っていません。

周囲の方々…特に若い世代からは心配の声こそ聞こえ漏れてくるものの、ポジティブなイメージを持って展開を注視している向きはゼロといっていい印象です。
詳細をご存知の方がおられましたら、ご提供いただける情報を教えていただけると幸いです。

津山市の美術館構想自体、初めて耳にした際は正直なところ…降って湧いたような話だと感じました。

歴史や文化云々と言ってみたところで、美術館を設けること自体が目的になってしまってはナンセンスです。
これまた野暮な野暮なことを言うようですが、行政が主体となり税金を費やして取り組む以上は、儲けなくては話にならないと思っています。

費用対効果が見込めない話では、設置すること自体に意味がないどころか…むしろ負の遺産として残る、将来世代にとって害悪とすら呼べる失敗の象徴になりかねないからです。

そもそも芸術など一切興味がないという方もおられるでしょうが…ごく一部の人にとってのみ意味がある施設では、市民のコンセンサスが得られないことは明白でしょう。
そして、そういう類の施設が辿ることになる運命は…それこそ市内を見渡すだけでも想像がつくというものです。

少子高齢化、人口減により消滅の可能性すら指摘される地方において、新しい挑戦なくして今後の発展が望めないのは確かです。

ですが、間違った方向性に舵を切ることは消滅の可能性を大きくすることに他ならないことであり、さらに加速度的に人口減を進める危険すらはらんでいます。

この際、多くの税金が投入されるような非常に大きな決断に関しては、広く市民の声を聞いていくスタンスを明確に打ち出すべきです。

それは審議会や委員会といった形式張ったものではなく、もっと市民の実情に寄り添った…気軽に発言することができる公開された場であることが望ましいと思います。

では実際にどうするか?

思いはあるけれども…公開されると発言しづらいという人が多いのは重々承知の上です。
当ブログのエントリーに関しても、ご意見をいただけることが増えてきて感謝しておりますが…やはり公開はされたくないという方が大半です。

色々と面倒なことがあります…その気持ちは理解している積もりです。
だからこそ、代弁者たらんという意気込みで私は意思表示をし続けます!!

現在、私たちはそういう時にこそ…とても有効で便利な手段をすでに手に入れています。

そう、ネットですYO☆

今やインターネット上に開かれた場を設け、そこで意見を出し合うことは難しいことではありません。
匿名性を保つ場合は、不適切な投稿も想定され、荒れることもあるでしょうが…それはそれ。
荒れるくらい盛り上がれば、それは喜ばしいことだともいえますし…対策はいくらでも用意できるはずです。

そういった仕組みが構築できれば…美術館構想云々に限った話ではなく、あらゆるシーンで応用可能ですから理論上、できることの可能性は無限に広がるといっていいと思います。

多くの人の発想や知恵、経験…そういったものの集積は今でもネット上にあります。
当然現実世界でもそれらは軸が異なりつつ存在するわけですが、ネットにはリアルで介在する様々な障壁がない場合すら多く、距離感を自分の采配で取ることが可能ですし…メリットは大きいはずです。

当然デメリットも生まれますが、挑戦する価値はあると信じています。

行政が管理するサイト、例えば市のホームページ上にそうした知の集まる場所を作る。
それは集合市のコンセプトにも欠かせない手段です。

皆さまのお知恵やご経験、自由な発想を他でもない自分たち自身のために、提供して欲しいのです。

もう誰もが耳にタコができるほど聞いてきた「お力お貸しください!!」とは言いません。
目指しているまちはそういう発想では生まれないのです!!

みずからが生活する自治体のため=みずからのため、であるべきです。

もちろん理想めいた綺麗事であることは理解しています。
ですが、理想が追えなくなっては緩慢な消滅への道を進むのみ…現実にはさほど緩やかですらないでしょう。

自分たちが暮らしていくまちを、自分たち自身の手によって作り上げる…作り変えていく。
もちろん誰かのためでも構いませんが…自分たちのためであれば、すぐにでも人は本気になれるはず。

つまり、自治体をセルフリノベーションするべきだという発想です!!

自分たち自身の意思が反映され、自分たちの思いが詰まったまちづくりが進めば、必然的にまちへの思い入れも深くなり、郷土愛が育まれます。

偉大なる先輩方の遺してくださった財産を維持し、その活用に尽力することは当然必要です。
ですが、私たち自身の手で新しい誇れるものを生み出すことができたとしたら、地域への愛着を生む大きな動機となることは確実でしょう。

引き続き新しい発想に磨きをかけ、実現の可能性を高めていきたいと考えています。

それでは今日はこんなところで。
また明日!!

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三浦 ひらく

三浦 ひらく -PROFILE-

世界を暮らしやすく楽しく変えるため、相棒ひらくマと一歩ずつでも現状改善していくために日夜ハゲむ、1978年生まれの岡山県津山市議会議員。選択肢の多い社会を目指し、政治も手段の一つと捉え、地域振興、多様性理解促進、生きづらさ解消、表現の自由を守るための活動、インフルエンザ脳症撲滅、臓器移植意思表示推奨などをライフワークとして活動している。

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