諸行無常の世の中で、忘れてはいけないと思えることがあるなら、それこそが生きる意味だ。

未来拓く、みうらひらくです。

人は弱い。
強く見える人にも弱い部分は必ずある。
みずからの弱さを認めたときに、そこで初めて見えてくるものがあると思うのです。

東日本大震災でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りします。

5年前は東京の自宅でPCに向かい、GBPの値動きを追うチャートと戯れていました。

鉄筋マンションの一階でしたが、部屋の中は散々な状況になりました。

飲むのを楽しみに取っておいた酒瓶と未使用のバカラのグラスが割れたことがショックでしたが…ペットボトルのミネラルウォーターが落下して、水が一面にしぶきを上げて飛んだシーンを鮮明に記憶しています。

ペットボトルがこんな風に割れるものかと、ほんの刹那ですが妙に冷静になった自分がいました。

しかし間を置かずして、そんなくだらないショックなど吹き飛ぶような惨状が次々と報道されるようになり…冷静さを保つことすら簡単ではなくなりました。

良い例、悪い例を数多く見ることとなり、大学の哲学科で学んだこととは全く別の角度から、人間のあるべき姿を考え直すこととなりました。

結果として私の人生は大いに変わり、政治の道を志したのです。

あの震災を経て、生き方や考え方が変わったという方は自分の周囲にも何人もいますし…5年前に物心がついていた方であれば、3月11日は何かしら記憶に残っていることだと思います。

それでも人の記憶は薄れていくものです。

絶対に覚えていようと思っても忘れることもあります。
そして逆に、絶対に忘れたいと考えていることは、なかなか記憶から消せないものです。
記憶の曖昧さ、不完全さは脳科学を持ち出すまでもなく、実体験として多くの方が感じたことがあるでしょう。

だからこそ…忘れられないこと、忘れてはならないように努めるべきことがあると思うのです。

私の尊敬する人たちは皆一様に、当時自分ができることを全力で行い…5年が経った今でもそれぞれのやり方で、あの日自身が抱いた思いを忘れることなく進んでおられます。

当時の私がしたことといえば、金銭的支援…要は募金のみ。
比較的自由が利くフリーランスだったにもかかわらず、震災の現場となった東北の地には、結局足を踏み入れませんでした。

恥ずかしいことですが…都合の良い、行かなくて済む言い訳を用意して、やれることはやったと自分に言い聞かせたのです。

自分自身に嘘をつき通せることなど、できるはずもないのに。

当時の自分に何か言えるとしたら「現地に行け!!」と伝えたいです。
人生において後悔していることの一つです。

被災された方から、あの日のことを忘れたくて仕方ないとお聞きしたことがあります。

当事者でない以上、その思いを完全に理解することは不可能です。
しかし、だからこそ見える世界があり、できることもあるはずです。

当事者でない人間ができること、やるべきことの一つは震災の記憶を風化させないことです!!

どういう風に3月11日を迎え過ごすかは、その人の自由です。
たとえば、今日が誕生日の方もいるわけです。

お祝いをしたり、笑顔を見せることがタブーとなる日になってはダメだと思いますが…黙祷を捧げ、自身の生き方を見つめ直す日であることは、私にとっては今後も変わらないでしょう。

それぞれ自分自身にできる形で、やれることをやればいい。

様々な媒体で、今も続く被災された方々の苦しみが報道されています。
どうか少しでも早く、心安らげる日が訪れますように。
そのために出来ることをしっかりと考えて、これからはこれまで以上に行動していくことを自分自身に誓います。

弱いからこそ、強くありたいですね。

それでは、また明日!!

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三浦 ひらく

三浦 ひらく -PROFILE-

世界を暮らしやすく楽しく変えるため、相棒ひらくマと一歩ずつでも現状改善していくために日夜ハゲむ、1978年生まれの岡山県津山市議会議員。選択肢の多い社会を目指し、政治も手段の一つと捉え、地域振興、多様性理解促進、生きづらさ解消、表現の自由を守るための活動、インフルエンザ脳症撲滅、臓器移植意思表示推奨などをライフワークとして活動している。

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