想像力の欠如が独善に繋がり…やがて犯罪を生む。”見ざる聞かざる言わざる”ではダメな理由。

未来拓く、みうらひらくです。

昨日、相模原市で酷い事件が起こったことは、多くの皆さんがご存じだと思います。

お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りします。

私の住む津山市では、80年ほど前にいわゆる津山事件という大惨事が起こっています。

そのため今回の件の比較対象として、昨日今日と多くの報道で津山市の名前が出ていました。

50分で45人を殺傷。相模原の事件が「津山三十人殺し」よりも恐ろしい3つの理由

事件から80年近く経った今でも、被害に遭われた方のご遺族など…事件が決して他人事ではない方々にとっては、影を落としている一件です。

当然のこと。

誰かの気持ちを100パーセント理解することは決してできません。

しかし…相手の立場に自身を置き換えて考えれば、理解できることがあるはずです。

むしろ、理解できないといけないと思うのです。

昨日書いたように、想像力を働かせるのは本当に大切なこと。

想像力の欠如が、犯罪や独善的で身勝手な行為へと繋がっていることは明らかです。

悲しいニュースや、残酷な事件…過去の過ちや歴史から目を背ける自由もある。

しかし、あくまでも個人的な意見としては(そもそも当ブログに書いている内容は全てそうですけど…)、タブー視されていることやアンタッチャブルな物事からこそ、学びや気づきを得られるケースが多いと思います。

それこそ想像力を働かせた結果の…被害者の気持ちを慮る観点から、こうした問題には部外者がああだこうだと口を挟むべきではないという雰囲気もあります。

もちろん、そっとしておくべき問題…センシティブな問題であることは事実。

だからといって隠してしまっては、タブー視されているものだからこそという背徳感が高まり、結果として余計に悪い影響を与えることに繋がる危険性を感じずにはいられません。

繰り返される痛ましい事件や、つらいニュースの数々。

ああいった報道によって、誰が得をするのか。

きっと本当は、誰も得はしません。

報道関係者等も、得をしているとは言い難いと思う。

それでもそうした報道を多くの人たちが見てしまうのが事実であり、現実。

魅力があるorないではなく…興味があるから。

そこから何を学ぶのか。

想像力を働かせて、何を感じ取るのか。

そして、悲しみや怒りといった感情をどこに、どのように向けるのか。

考えるべきことは常に山積みです。

取り留めのない内容になりましたが、本日はこのあたりで。

また明日!!

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三浦 ひらく

三浦 ひらく -PROFILE-

世界を暮らしやすく楽しく変えるため、相棒ひらくマと一歩ずつでも現状改善していくために日夜ハゲむ、1978年生まれの岡山県津山市議会議員。選択肢の多い社会を目指し、政治も手段の一つと捉え、地域振興、多様性理解促進、生きづらさ解消、表現の自由を守るための活動、インフルエンザ脳症撲滅、臓器移植意思表示推奨などをライフワークとして活動している。

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