鳴かぬなら探しに行こうホトトギス。幸せの青い鳥はどこにいる?

未来拓く、みうらひらくです。

鳴かぬなら私が鳴こうホトトギス、みうらひらくです。

 

 

このスタンスは例の有名な織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の性格を表したタイプ分けを知った瞬間に思いついたものです。

小学生の頃の話ですが…まぁ、そこは変わっていない38歳

せ、成長していないってことじゃないんだからねッ!

 

 

面倒くさいものはスルーって気持ち、よくわかる。

しかしそれでは解決できない問題もあるでしょ?

殺すのは論外だし、待っていては今度は自分が死ぬかもしれない。

一般的には秀吉案がベターなのだろう。

 

 

ただ…考えてみてほしい。

ホトトギスは鳴かないのではなく、鳴けないのかもしれない。

本来鳴けないものを鳴かそうと強制されるのは大変な苦痛だってこと…想像したら理解できるよね?ってこと。

そういう視点を忘れてはいけないのではないか?

 

 

これは私にとってとても重要なこと。

政治に対するスタンスとしてもそうだが、政治以外でも同じことだ。

他者に思いを馳せる…おもいやるということはそういうことじゃない?

 

 

なかなか捨てることができるものではない&完全に取り払うことは不可能に近い上に危険であると考えていますが…先入観固定観念偏見を抱いていると判断を誤る恐れがあります。

鳴かないのなら自分が鳴くという選択肢があったって良いでしょう。

あるいは、別のよく鳴くホトトギスを探しに行く選択肢もあるのではないか。

 

 

これは曲解されると人でなしと叩かれる発言かもしれない。

人はホトトギスではない。

この人がダメならハイ、次の人…ってやり方は好ましいとは言えない。

実際は様々な配慮が必要なのは言うまでもないことです。

 

 

また、どうしたって別のホトトギスに代替不可能な問題もあるだろう。

そういう性格の話であれば別。

たとえば愛だの恋だのとかね。

そこにも実は別のホトトギスを探すという選択肢は常にあるのだが…いざ当時者となると”恋は盲目”ってなるもの…それは仕方あるまいて。

家族間の問題などもこれにあたるでしょうね。

 

 

だが、政治は違う。

他の多くの問題も違うと言えるだろう。

ある程度思い入れが強いと、モノでもコトでも…そしてヒトでも固執してしまいがちです。

ただそれ、意外に代替可能かもよ?

 

 

一回リセットしてみる、チェンジしてみる…セルフリノベーションしてみる方向性を考えてみるのは、非常に有効だと思われます。

春だし、色々と見直してみても良いのでは?

青い鳥の童話のように…求めていた幸せの答えは、案外と近くに転がっているかもしれませんYO!

 

 

それでは本日はこんなところで。

また明日!

Pocket
LINEで送る

三浦 ひらく

三浦 ひらく -PROFILE-

世界を暮らしやすく楽しく変えるため、相棒ひらくマと一歩ずつでも現状改善していくために日夜ハゲむ、1978年生まれの岡山県津山市議会議員。選択肢の多い社会を目指し、政治も手段の一つと捉え、地域振興、多様性理解促進、生きづらさ解消、表現の自由を守るための活動、インフルエンザ脳症撲滅、臓器移植意思表示推奨などをライフワークとして活動している。

コメント