地獄への道は善意という名の勘違いで舗装されている…のかもね。

未来拓く、みうらひらくです。
恋する暴走機関車、みうらひらくです。

高校時代の友人に吟遊詩人っぽい存在の男がいた。彼が評してくれた自分に対する詩の1フレーズを忘れられない。”そう、まるでお前は機関士のいない機関車”…そんな一節を気に入って、歌詞にも引用したことがある。昔から暴走するのが得意だったという自己紹介です。

さて、先日のエントリーきと冒頭で少しAVネタを書きました。AV男優をバカにした積もりなどきと毛頭ナイのに…そういう風に受け取られた方もおられたようで、そこは完全否定しておきます。

むしろ尊敬していると言って良いレベルだぜ?ぶっちゃけ明らかにAV女優と知り合う方が嬉しいけど、有名男優の話に興味がないと言ったら嘘になる。大いに参考になるに違いないもん。

ブログのネタにもなるだろうしね…いや、さすがに詳細は書けないか。読者が減るだろう。

かつて故鳩山邦夫氏の”友人の友人はアルカイダ”発言は物議を醸したが(センセーショナルな発言だけにセリフが一人歩きしていた印象もあるが、本人は歪曲された報道だと主張)、俺の友人の友人にはAV男優がいたはず。いつか語り合ってみるのも悪くないか。

何が言いたいのか?

それはつまり、毎日これだけの量のテキスト…文章を書き散らかしている俺であっても(単に文才がないだけって噂もあるが)、言いたいことの何分の一も伝えられていないってこと。そんなデータはネットでちょっと検索すれば山ほど出てくるが…メールやメッセージでは、やはり伝わりきらないこと、伝えきれないことが厳然と存在する

もちろん、面と向かって話したところで、伝わらないものは伝わらない。そもそも、話を聞いてもらえない場合だってある。面と向かうことすら拒否される場合だってあるだろう。

それでも話そうとすること、気持ちを伝えようとすることは大切である。アレ…これって何かに似ていないか?

そう、恋愛だ。

恋愛と政治は似ている。政治に限ったことじゃない。恋愛は全てと異なるようで全てに似ている。あらゆる要素が愛だの恋だのを構成するのだ。理屈じゃないようで理屈も大事であり、それでいてやはり理屈ではない。だけど結局、目に見えない何かを信じるしかないのだ。

数字に表せることだけが全てじゃない。打算的な行動は必ずしも結果に繋がらない。相手のことを思いやった積もりが、それは単なる自己満足であったりする善意・好意の押し売りはいつの間にか相手に息苦しい思いをさせているだけかもしれない。

以前こんなエントリーを書いている。

地獄への道は善意で舗装されている…それでもランドセル贈る?

2016.12.05

好きな相手のことを考えて、こうしてあげるべきだと思ったことがあったとする。でも、それを相手は望んでいないようだ…そんな時、君ならどうする?自分の思いを押し付けてしまうと、下手するとストーカーなんてことになりかねない。でも、それでも確実に相手が間違っていると自分には確信があったとしたら…どうする?

これはあらゆるケースに当てはまる問いでもある。

好きな自治体、国。愛する自分が住むまちや国家の行く末がマズい。国をこうするべきだ、この街をこう変えていくべきだ…そう思ったとする。でも、他の誰かがそう思うかどうかは別の話だ。住んでいる人には色んな考えの様々なタイプの人がいる。その全てが住民であり、皆の権利は平等なものである”はず”なのだ。

だからこそ選挙がある。第三者も含め公正な最終判断を下せる(…とされている)手段があるのだ。

そういう意味ではやはり、恋愛の方が難しいのだろう。多くの場合、二者間で争われる問題であり…選挙のしようがない。政治家はもっと恋愛しないといけないかも!


本日はこんなところで。また明日!

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