議員のヤジは許されるのに、傍聴人は何も意思表明できない理由。

未来拓く、みうらひらくです。
俺にヤジらせる権利くれたら結構面白いこと言えると思っている、みうらひらくです。

本日のエントリーの標題の件、回答からズバリ書いちゃいましょう。

”傍聴人は選挙で選ばれていないから”でしょうね。

議会を厳正な場所だとか言って神聖視しちゃうのはこの理由からでしょう。”選ばれた者だけが発言できる感”が勘違いを生むのではないでしょうか?

私自身の考えをハッキリと述べておくと、議会では選ばれた者だけが発言すべきという趣旨に文句はありません。そうでなければ選挙の意味がないからです。議会の存在意義自体がなくなるでしょう。

議場は民意を受けた代表者が議論しあう場であるべきです。

ここのところ何度か議会の傍聴席の優しさ欠如について取り上げてきました。なぜ、裁判の傍聴と異なり、議会の傍聴はあれほどまでに人が少ないのか。これは裁判でも同様ですが、注目度の高い事案を扱う際には稀に盛り上がることもあるようです。とは言え、議会の傍聴で整理券配って抽選になったって事例はあまり聞いたことがありません。

つまり注目されていない。

極めて大切な話をしているにもかかわらず、興味を持とうとしない有権者にも問題があるのは間違いありません。ただ、興味を持たないように仕向けているのでは…と邪推してしまうような現状があるのも事実。議会運営が税金をベースにして有償で行われている以上、興味を持ってもらうための工夫や改善があって当然だと思うのですが、現状をより良いものにしていこうとする姿勢は全く感じられません。

その積極性のなさは随所に表れていますが、そもそもの話として議会にヤジは必要でしょうか?

議会にヤジは必要なのか?

ヤジ肯定派の人々が口にするのはヤジは議会の華だという主張です。要するに議会運営の妨げでなく、潤滑油になっているというニュアンスでしょう。

その感覚、多くの有権者の思いと乖離してない?

自らの思いに合致する場合は拍手喝采を浴びせ、反目する場合はヤジり倒す。これが円滑な議事進行の妨げになることは言うまでもありません。だからこそ傍聴人には発言権がなく、じっと座って話を聞いていなくてはならないのです。タスキや幟、ハチマキの類や主張の強いスローガンの入ったTシャツ等の着用すら禁止されているのですから。

真剣に議論すべき問題を前に、低俗なヤジを飛ばしたり、居眠りしたり…赤ちゃんの方がマシだと思えるような人間が議場にいることが問題なのです。

橋下氏、子連れ市議問題に「赤ちゃんの泣き声がうるさいって、お前らの方がうるさいバカ!」

さすがは橋下さん的なブッタ斬り方。私も精進せねば!

本日はこんなところで。また明日!

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三浦 ひらく

三浦 ひらく -PROFILE-

世界を暮らしやすく楽しく変えるため、相棒ひらくマと一歩ずつでも現状改善していくために日夜ハゲむ、1978年生まれの岡山県津山市議会議員。選択肢の多い社会を目指し、政治も手段の一つと捉え、地域振興、多様性理解促進、生きづらさ解消、表現の自由を守るための活動、インフルエンザ脳症撲滅、臓器移植意思表示推奨などをライフワークとして活動している。

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