未来拓く、みうらひらくです。
先日、自発的マイノリティーの一つの事例として取り上げたタトゥー。
やっぱり嫌悪感を覚える人は少なくないみたいですね。
「マジで入れようと思ったことあるの??」
「そういう人たちと付き合いあるんだ…。」
…などという、ネガティブ系のリアクションをいただいております。
入れ墨イコール黒社会という思い込み、か。
しかも意外にも若い世代にも否定派は少なくない印象。

ほほほぅ、やっぱりそうなんだねって感じです。
日本ではやっぱり、イレズミってソッチ系の人が入れるものって印象を持っている人がマジョリティー(多数派)なんでしょうね。
アメリカやイギリスなどでは、イレズミに対して日本より寛容なのはよく知られている通り。
世界には成年…大人になるための通過儀礼としてイレズミを施す風習が残っているエリアもあるようです。
まぁ国や地方によって文化に大きな違いがあるのは当然ちゃ当然。
そうした違いをも、できるだけ理解&受け容れていこうぜってのが多様性を容認するってことで、ダイバーシティを推進するってことでしょう。
超、難しいけどな。

入れ墨を入れるという自発的行為には、国家レベルで自由が制限されるという代償が付いてきます。
たとえば、自衛官には採用されません。
身体検査の合格基準に満たないということは、スミが入っていると身体的に不適格って判断されるということ。
しかしこれは日本国憲法に謳われている、職業選択の自由が制限されている状態だといえます。
第22条。
”何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。”
これが憲法違反であるか否かは、ちょっと専門外過ぎて何とも…。

さすがに憲法違反の募集要項を防衛省が出さねーだろとも思うけど…そーゆー主張は成立する気もするし…どうなのかしら??
公務員だから良いってこと??
…ってか、入れ墨入れた人間が自衛官になることは公共の福祉に反するってこと??
まぁ、公共の福祉ってのも難しいらしいから…とりあえず置いとこうか。

ところでイレズミだろうがtattooだろうが、呼び方の違いだけで同じものじゃないの??
違うっていう主張に耳を傾けてみたけど、ぶっちゃけ意味わからなかった。
その後ネットで1分くらい調べてみたけど、同じじゃねコレとしか思えなかったわ。
自発的マイノリティーとして生きていく覚悟、決意を持っている人間は強いってイメージがあったけど…それも思い込みだったかもね。

強くなりたくて…みずからマイノリティーへの道を選ぶってケースもあるわな。
自分自身を追い込む的な、ドM臭が漂う発想。
しかし、自分自身の意思で選び取った道だからこそ、そこには可能性があるわけです。
そのあたりは改めて次回に。
それでは、また明日!!