学生グループに伝えた臓器提供のリアル。考えること自体が制度的課題と偏見を乗り越え、未来を救う第一歩!

未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。

本日は千葉県茂原市を初訪問。

2025年8月25日追記:茂原駅に集合して現地まで送っていただいたのですが、実は会場は一宮市長生村 驚というところだったと…参加された方から教えていただきました。確認不足で大変申し訳ありませんでした!

海外の超有名大学への留学生の皆さまが中心となって活動されている会のメンバーを前に、大学中退(除籍ではない!)の私が…いつもと違うエビデンス何それ美味しいの的な情緒的な話をさせていただいてきました。

ドナー(臓器提供者)の家族として、5歳だった愛娘・愛來(あいく・愛称くーちゃん)をインフルエンザ脳症という突然の病で失い…彼女の臓器を提供したことに関する話を聞いていただいたところ。

医学部や看護学部の、超優秀な皆さまを前に…一夜漬けで調べたナンチャッテ知識を披露したところで意味はなく…なおかつ、私以外にもこの分野で有名な大学の先生と、レシピエント(臓器を受けられた方)、そして手塩にかけて育て上げ…医師となられた我が子を若くして”自死”というあまりにも悲しい失い方をした母親お二人が、お話をそれぞれにされる中でしたので…私としては背伸びしても仕方ない状況でした。

皆さまのお話を伺った上で、4番バッターとして(話したのは甲子園と違って5人しかいませんでしたが…)、臓器提供・臓器移植・移植医療全般について、自身の経験など色々と語らせていただきました。

まず冒頭では、私自身も存じ上げているレシピエントの方から闘病の様子、臓器移植に至るまでの経緯や、その後の話などがご自身の体験をもとに語られました。本来は私がそこに続く予定だったのですが、諸々の都合で急遽の順番変更があり…次に登壇されたのは大学の先生。

臓器の提供、移植をめぐる現場の実態や制度的課題についての講義があったのですが…これが最高過ぎました。

お世辞や社交辞令を言うキャラでないことは当ブログ読者の皆さまはよくご存知の通りですが…端的に要点をまとめてくださった資料で知識を共有してくださった上、非常にわかりやすい説明で問題を炙り出し、そして聴衆に自然に考えさせるという…素晴らしい講義でした。大学を途中で辞めてしまった私…しかも医学の講義なんて逆立ちしても受けられるような立場ではなかった自分としてみれば、この話を伺えただけでも参加した甲斐がありました。

臓器提供は命を救う尊い行為である一方で、誤解や不信感を招きやすい現実があることが改めて示されました。正直に言えば私自身にも、どんな風に理解したらそうなるんだろう…と思うような声が届くこともあります。

例えば「救急処置のミスが脳死を招いたのではないか」「虐待や事故で亡くなった子どもの臓器が提供に回されるのではないか」といった、社会的な誤解を招くリスクが少なくないことにも言及がありました。実際には厳格なルールが設けられており、虐待や事故の疑いがある場合は臓器提供から除外されますが…しかし、そのルールや厳格さは社会に十分理解されていないのが実情です。

そうした現実があることに加え…もしも救命処置と臓器提供準備の違いが十分に説明されなかった場合には、家族ですら不安や疑念を抱くこともあることへの懸念についても触れられ、臓器提供を「安心して選べる制度」にしていくためには、制度や仕組みの説明を十分に行なって、遺族の精神的負担をできる限り減らすことにも繋がる、正しい知識の普及と現場での丁寧なコミュニケーションが不可欠であることが強調されました。

そして不躾極まりないリクエストにお応えいただき…先生には資料を共有いただきました。

有難うございました!

その後、医師となった若い娘さんが過労の結果として自死されるという極めてつらい経験をされた方のお話がありました。こちらも資料も用意してくださっていて、悲しい過去の記憶を紐解くように、絞り出すようにお話くださり、心を打つ内容でした。自分自身にとって、世界一可愛い子を失ってしまうつらさは…少しはわかるつもりです。

私からはそれまでに登壇(演台などない、なかなか特殊な空間でしたが…)されたお三方の話を受け、娘の父親として、ただ5歳で亡くなった娘「くーちゃん」のことを語らせていただきました。そう言えば名乗らなかったかもしれないと終わった後に気づきましたが、私のことなどどうでも良いので、くーちゃんのことを記憶のどこかに留めておいてくれる方が一人でも医療の現場に増えれば、きっと世界が少し優しくなると信じています。

言葉にできない…とてもグチャグチャなたくさんの感情が、家族それぞれにあったと思うし、そうした気持ちは私自身は今もなお、完全には消えません。ただ私たち家族は最終的に、くーちゃんの臓器を提供することを家族全員一致で決断したのです。

くーちゃんなら誰かを助けたいと思うだろうと、信じられたからです。

決して簡単な決断ではありませんでしたが、くーちゃんの臓器によって救われた命があることが、今では私たちの希望、生きる支えになっているのです。

当時対応してくださった先生方や看護師の皆さまの誠実で真剣な説明、正面からぶつかるようなやり取り全てが、結果的に私たちを支えてくれることになったと感じています。これは先の先生のお話とも共通するところでしたのでしっかり伝えさせていただきました。

つらい経験から私が強く感じているのは、医療者にしかできない寄り添いの形があるということ。

命の最前線で、正確な情報を伝え、家族に選択肢を提示すること。それがどれほど大きな意味を持つか、身をもって実感しました。

臓器提供は、決して「しなければならないもの」ではないのです。

どんな決断も尊重されます。

ただし、無知や誤解で選べたはずの未来を失うことがあってはならないはずです。

だからこそ大切なのは選択肢を知ること、大切な人と話し合うこと。どちらでも良いし、「今は選べない!」でも良いのです。とにかく、大事な人に対して何らかの意思表示をしておくことが最初の一歩だと思うのです。

臓器提供は命を繋ぐ医療であると同時に、残された家族にとっての希望の光にもなり得るのだということを、個人的な体験をもとにお話しさせていただきましたが、これは誰もが当事者になり得る話です。「自分には関係ない」と思う方こそ、ぜひ一度考えていただきたいテーマです。

助かるはずの命が失われている現実を、私たち一人ひとりの気持ちの積み重ねで変えられるのです。

事実、現場での皆さまの思いや声が仕組みや制度を変えることにも寄与してきた話も伺えましたし、私自身も知っています。

そのためにまずは知り、考え、話すことから始めましょう!

そして私自身は、公職に就かせていただいている者として、地方議会議員ではありますが仕組みや制度を整える側にいる自覚もあります。今後もあらゆる角度から現状改善のために努力していくつもりですし…こうした活動もまた、津山市のためにもなることを、すでに実感としても知っていますので…引き続き全力で向き合っていきます。

今日は本当に多くの学びを得られた一日で、特に先生のお話は多くのメモを取りましたが…中でも最も印象的だったフレーズが「救えない先にも医療はある」という言葉と「こちらから扉を開けておかないと家族は反応しづらい」という表現でした。

そのまま政治や議員活動、当事者支援にも当てはまると感じました。

しっかりと取り入れていきます!

本日はこんなところで。それでは、また明日!

三浦 ひらく

三浦 ひらく -PROFILE-

世界を暮らしやすく楽しく変えるため、相棒ひらくマと一歩ずつでも現状改善していくために日夜ハゲむ、1978年生まれの岡山県津山市議会議員。選択肢の多い社会を目指し、政治も手段の一つと捉え、地域振興、多様性理解促進、生きづらさ解消、表現の自由を守るための活動、インフルエンザ脳症撲滅、臓器移植意思表示推奨などをライフワークとして活動している。