みうらひらくプロフィール

ミュージシャンの夢を追い上京…
都会での経験と、変わらぬ思いを胸に
いま、ふるさとで政治を志す。

幼少時代

赤ちゃん 公園で遊ぶ 幼稚園入園
1978年
津山市にて3500gという比較的大きなサイズで誕生。
顔面半分強のおでこに関係者騒然。
1983年
美作女子大学付属幼稚園(当時)入園。
絵を描くのが好きだったとか…しかし夢は野球選手か恐竜博士。
1984年
父の仕事の関係で岡山市に転居。
わんぱく小僧っぷりが加速し、よく叱られる。

少年時代

車内にて 野球バッティング 小学校卒業
1985年
わずか1年で津山市へと舞い戻り、津山市立鶴山小学校入学。
スポーツ少年団(志戸部)に在籍。
ソフトボール、サッカー、ミニバスケットボール等で汗を流す。
さらに同級生を中心に野球チームを結成するなど、スポーツに熱中。
熱中し過ぎて問題を起こすことも…ガキ大将っぷりがエスカレートし、よく叱られる。

青春時代

ガレージにて 高校制服姿 高校文化祭で歌う
1991年
津山市立北陵中学校入学。
津山市弥生町から津山市小原へと転居。
丸刈りへの抵抗感と“コッチの方がモテそう”との下心から夢を捨て、野球部ではなくバスケットボール部に入部。
上達せず、身長も伸びず、当然モテることもなく3年間を終える。
このころから、ついうっかり(モテるため?)ミュージシャンを目指しはじめる。
1994年
岡山県立津山高等学校入学。
今度こそモテモテの3年間を送るべく、学業そっちのけで日夜男を磨く。
たびたび道を踏み外し、関係各位に多大なるご迷惑をお掛けする。
悪友と共に校内でオリジナル曲を録音したカセットテープを販売するなど、黒歴史を積み重ねる。
そしてもちろん、とてもよく叱られる。

風来坊時代

イメージ写真ホスト風 イメージ写真カウボーイ風 ライブハウスで歌う
1997年
音楽界での成功を夢見て、中央大学文学部哲学科への進学を言い訳に上京。
念願の一人暮らしを大いに満喫、そして堕落する。
2001年
考えていたような勉強ができなかったとの迷言を残し、4年間在籍しておきながら自主退学。
関係各位を大いに落胆させる。
中途半端に音楽で生活の糧を得ながらも、飲食業、金融業の方面にも手を広げ、道を見失う。
2009年
徒然なるままに毎日暮らしていると、気づけば無職無収入のプータロー、ニート状態に。
このころになると、叱ってくれる人すらいなくなる。

社会人時代

津山さくらまつりにて 清眼寺で抹茶を頂く おどけてびっくり
2011年
東日本大震災を機に生き方を見つめ直し、新たな挑戦のため津山へと戻ることを決意。
帰津後、株式会社津山朝日新聞社に入社し新聞広告・印刷物の営業担当として勤務。
長年離れていた故郷で人生初の就職、社会人として働くことで、人として多くの糧を得る。
2014年
心に秘めていた新たなる挑戦のため退職し、公職選挙法に則った真面目過ぎる政治活動を地味にスタートさせる。
いずれも参議院議員である松田公太代表、山田太郎政調会長らの国政政党(当時)、日本を元気にする会の考え方に共鳴し、推薦予定候補者となる。
2015年
津山市議会議員選挙に出馬。
しがらみのない政治の実現を目指し、クリーンで新しいスタイルの選挙活動で挑戦するも圧倒的準備不足等の様々な理由により、858票で結果は次点。
またしても関係各位を失望させる。
2016年
津山市のお隣、鏡野町の観光協会所属スタッフとして、自治体のプロモーションや交流人口増加に関わる仕事に就く。
様々な面で多くの方々からご配慮いただき、明らかに観光の枠を飛び越えた業務への取り組みを許され、日々忙しく飛び回る毎日が続く。
2018年
音喜多駿東京都議会議員(当時)を中心に、既存の政治を変えていくべく立ち上げられた地域政党、あたらしい党の公認予定候補者となり退職し、あたらしい挑戦のための備えを進めていく。
津山市上河原にて妻子と暮らしながら、郷土・岡山県北部の未来を切り拓いていくべく準備。
2019年
津山市議会議員選挙に再び出馬。
前回の反省を生かしながらもブレず媚びず、しがらみのない手づくり選挙戦を展開。
人に恵まれ、皆さまのご協力とご声援の賜物として1,273票の思いを託していただき当選。
議員としての活動をスタートさせる。
5月末の総会参加後、あたらしい党とは考え方の違いなどから距離を置くことを6月初頭にブログ記事で詳細に綴り、10月には離党。
2020年
1月、インフルエンザ脳症により最愛の一人娘・愛來(あいく・愛称くーちゃん)が突然に他界。
その後、世界中に蔓延した新型コロナウイルス感染症の脅威と向き合う中、自分自身に課せられた使命だと信じる道で職務・職責を果たすべく、そして一人の人間としての役割を全うすべく、奮闘する。
2021年
当選後2年の間、会派には所属せず一人で活動したのちに、津山市をより良くしていくためには津山市議会を変えていかねばとの思いをいっそう強くし、議会改革に最優先で取り組んでいく会派、ツヤマノチカラを会派代表者として同僚議員2名と共に旗揚げ。
コロナ禍の中でオンラインも活用しつつ、市外・県外での活動にも積極的に参加することで、個人としての知見を深め、独自のネットワークを構築していくと共に、津山市を発信していく効果にも繋げる。
2022年
2月、一期目の議員としては例がない異例のスピードで、議会活性化特別委員会の委員長に就任し、オンライン委員会のデモンストレーションを行うなど議会改革を推進する。
愛娘・くーちゃんが亡くなった当時は発表できなかった臓器提供の事実を自身の誕生日に発表。
学会への登壇やABEMA Primeなどへの出演を通し、移植医療の啓発、自分ごととして考える大切さを訴える。
日本一のフリー写真素材サイト・ぱくたそとのコラボレーション企画や、地域映画の制作にもプロデューサーとして携わるなど、津山市議会議員としての活動の幅を大いに広げていく。
2023年
4月の統一地方選挙において現職候補が軒並み得票を下げる中、1,382票を賜り二期目のスタート地点に立たせていただく。
前任期に引き続き議会活性化調査特別委員会委員長、会派ツヤマノチカラの代表者として精力的に活動すると共に、議会運営委員会の副委員長に。
携わった地域映画の劇場公開、移植医療推進のためのシンポジウム等への招聘など、個人としての活動も少しずつ実り始める。
2024年
4年越しの願いだった市民の皆さまとの交流会企画”議会遠足”を、会派ツヤマノチカラとしての試みとして実現。
参画する様々な議員連盟等でのアクションに加え、日本最大の政策コンテストであるマニフェスト大賞の事務局長に就任したことにより、今まで以上に日本中を飛び回りながら、イナカマチのイロモノ議員として、全ては津山の未来のためにとの思いで精力的に活動中。