未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。
アイキャッチ画像の通り、本日は津山市の令和7年度の戦没者追悼式が執り行われました。
津山市長、津山市議会議長、岡山県遺族連盟理事長、津山市連合町内会会長と続いた皆さまによる献花・挨拶の後…遺族代表の方が壇上で語られたお言葉が、深く沁みました。参列していた市議会議員は半数ほどでしたが、私たちも献花させていただきました。会場は岡山県津山総合体育館で、1,400席を超える2階の固定席にはほぼ誰もおらず、感染症対策もあって席間にゆとりを持たせた会場内は、パッと見ただけではがらんとして冷たい印象すら与えたかもしれませんが…式典中は厳かな緊張感と共に、温かな祈りの空気が流れていたように思います。
かつて曽祖母や祖父母らから自分自身が聞いたエピソードなどが想起され、涙をこらえるのが難しくなるほどに、心に響く時間でした。なお、津山市で例年この時期に開催されている理由は他の式典等との兼ね合いだと思いますが、詳細は不明とのこと。

令和の追悼式に思う、80年という時間の重み。
今年は戦後80年、そして昭和100年という節目の年。
報道や歴史の教科書の中では簡単に表現されてしまう“80年”という時間ですが、一人ひとりの人生と家族の物語がその年月の中に無数に積み重なっている、とてつもなく長い時間です。それは自分自身の身に置き換えて考えてみるだけで明らか…当ブログ読者の多くの皆さまは、80年も生きていないでしょう。今までの人生を振り返るだけでも、その長さ、重さを実感する助けになるはずです。
そして津山市では3,661柱の英霊が祀られています。
往時も皆、本当は誰も死にたくはなかったはずです。3,661名の皆さまそれぞれに名前があって、愛する誰かがいて、誰かに愛されていて、それぞれの周囲には家族をはじめとした多くの皆さまがいたはず。だからこそ、失われた尊い命、戦没者の皆さまの犠牲の上に、今の私たちの暮らしが成り立っているという事実を、これから先も私たちは決して忘れてはならないと思うのです。
遺族代表の方の言葉の中にもあったように、人間は弱いもので忘れた頃に同じような過ちを繰り返してしまうからです。戦争は絶対に繰り返してはならないはずの最も忌み嫌われるべきことであり、言葉や文化の異なる外国においても同じ思いを共有できる普遍的な考え方である気がしますが…それでもご存知のように、戦禍は絶えていません。

お孫さん世代が語られた「受け継ぐ記憶」の大切さ。
今年、追悼の辞を述べられた遺族代表の方は、昭和40年代生まれとのことでした。53年生まれの私もそこに含まれることになりますが戦争を直接知らない世代として…肉親から聞いてこられた壮絶な体験の一端を、ご自身の身に置き換えたらと想像しながら語られたお話には、直接は知らないまでも、自分ごととして捉えているがゆえの説得力と言葉の重み、そして優しさがありました。
「私たちの世代が、語り継がねばならない。」
感情を過剰に表に出さないように努められているように感じましたが…その中でも、強い決意、圧倒的な覚悟が胸に突き刺さるような言葉でした。戦争体験者が少なくなりつつある今…“戦争を知らない世代”がいかに受け止め、どう伝えるのか。私たちが考えていかねばならない、背負っていかねばならない、我々の子や孫に繋いでいかなくてはならない使命を、会場の私たち自身にも静かに力強く自覚させてくださるような内容でした。
こうした取り組みって、いつまで続けるの?
全国各地で開催されている戦没者追悼式。中には「もう終わりでいいんじゃないか?」との意見もあるようですし、実際に、この節目の年に終わりを迎えるケースも出てきています。確かに時代は変わってきていますし、関係者の高齢化が進んできている状況は、今日の式典でも感じました。経済的にも人的にも維持困難になっている地域は少なくないようで、現場レベルで運営が立ち行かなくなってきた現実が出始めているわけです。他の地域行事などと同じ理屈ですね。一方で少し調べただけでも、「やめた」ではなく「形を変える」「縮小する」「代表献花だけにする」などの折衷型の判断もすでに各地で進んでいる感があります。完全廃止まで踏み込む自治体は限定的だけれど、“見直し圧力”は確実に高まっていると言えそうです。
ただ私は、やめるべきではないと思います。
むしろ「形を変えてでも続けるべきタイミング」に来ているというのが率直なところ。“形式を守る”のではなく、“意味を深める”という考え方で…単なる儀式として終わらせず、未来への学びに変えていくことこそが大切ではないでしょうか。今日の式典はまさに、「続ける意味」を感じさせてくれるものでした。開催に携わられた関係各位に感謝です。

気になる?式典にかかるお金の話。
ハイ出ました…おなじみ(?)のみうらひらく的・現実的視点。
こうした式典にも、もちろん税金が使われているわけです。津山市の場合、委託による会場設営・献花・印刷物・音響・運営スタッフなどを含めて経費が掛かっています。
その費用は令和7年度の予算ベースで総額1,122,000円。
戦争の悲惨さを伝え、平和の大切さを改めて考える…そういった機会に費やされる金額としては、決して高くないように思うのですが…いかがでしょうか?欲を言えば、子どもたちにも触れてもらいたいし…オンラインでの中継やアーカイブ配信などを考えるべき段階に来ていることは確実です。ただ、戦争の記憶を風化させないための取り組みは、私は必要だと考えますし、そこにある程度の公金を費やしていく姿勢を持つことは、自治体として間違っていないと思います。
ちなみに、厚生労働省が主催する全国戦没者追悼式の開催経費は約2億1,000万円(令和7年度概算要求)です。スケールは違えど、全国津々浦々で「平和のための公費」が投入されているわけです。
「それって必要?」という問いには、“過去を思い出すための支出ではなく、未来に忘れないための投資”だと答えたいというのが私の思いです。
市議会議員の立場で言えることではない気もしますけどね…!

戦争を知らない世代に、バトンを。
これからの時代、追悼式は“次の世代に引き継ぐ場”へと変化していくでしょう。そうなっていかねばならないとも思います。併せて、学校との連携、オンライン配信など、形を変えていく中で、より多くの人が関われる式典にしていくことが大切だと考えます。
今日ご挨拶されたお孫さん世代のように、「知らないけれど、聞いてきた」「経験していないけれど、想像してきた」──そんういった想像力こそが、平和を守るチカラになっていくのではないでしょうか。
戦争の記憶は、まちの記憶。
津山市の中にも実は、戦争の爪痕を感じられる場所が今でも実はいくつもあります。慰霊碑や記念碑、そして墓所に静かに佇む、名前の刻まれた石板…それらが現実の“風景”として物言わず残す「戦争の記憶」を、今を生きる私たちが理解し、次代に引き継いでいかねば、繰り返されるべきではない悲劇を避けられないかもしれません。
だからこそ、語り、祈り、思いを馳せねばならない。

私たちは、平和を“守る”だけでなく、“繋ぐ”役割を背負っているのです。
本日はこんなところで。それでは、また明日!