未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。
本日はアイキャッチ画像の通り…先だってご案内させていただいていた、津山市教育相談センター鶴山塾による”こころの子育てフォーラム2025”に潜り込ませていただいてきました。
津山市室図書館本館の、視聴覚室で開催された企画。たくさんの方々が参加されていましたし、会場内にお子さん連れの方がおられたのもとても良かったと思います。
今年のテーマはズバリ…「性教育は子どもたちへのプレゼント」というもの。
とてもキャッチーで前向きな、良いタイトルですよね。気にならないわけがないじゃないかと思いましたし、講師の思いが詰まっているなと感じていましたが…果たして、期待を裏切らないどころか大きく上回る内容でした。副題的に添えられている〜性教育は生教育、楽しく始めてみませんか〜のフレーズ通り…とても楽しい時間を過ごさせていただきました。
「性教育=問題が起きたときの話」ではない
開会挨拶に立たれた教育長と次世代育成課長から、まずは企画の趣旨説明がありました。教育長ご自身も最後までお話を聞いておられた姿勢は素晴らしいと思います。上に貼り付けたエントリーでも書いているように、市教委にはこうした機会を、より多くの皆さまに見ていただけるような形で実施していただきたいと改めて願います。
子育てについて住民同士が学び合う場であること、不安や悩みを共有し、少しでも安心と自信を持ってもらえるような会としたいこと、今回は「性」を切り口に、人権尊重や自己肯定感を考える内容であることなどが説明された後…早速に鳥越先生の講話へ。
性教育というと、「思春期になったら、保健の授業で“ささっ”とやるもの」…そんなイメージを持っている人も多いかもしれません。
でも今日のお話の主役・鳥越先生は、最初にハッキリと言われました。
性教育は生教育…つまり子どもたちが幸せに生きるための“土台”づくりだということ。

毎日の暮らしの中で少しずつ渡していく“プレゼント”なんだ、ということです。
「子どもだから大丈夫」では守れないもの
お話の中では、人としての尊厳、人権を守っていくために「イヤだ!」と言えるチカラを養うことの重要性について何度も触れられました。諸外国に比べると安全な気がしているかもしれませんが、それでも…私たちが住むこの日本においても、子どもの性被害は決して少なくない数なのです。議会でも何度も指摘してきているように、これは対岸の火事ではなく、極めて残念なことだけれど…私たちの身近で間違いなく起こっている理不尽についての話なのです。
1日あたり1,000人以上の性被害が発生しているって…想像できますか?
しかも、加害者の大部分は“怪しい知らないおじさん”などではなく…家族や親戚、友だちや先輩、習い事や部活の先生など、「顔見知り」であるケースであるという現実も指摘されました。
だからこそ、早期の性教育が必要とのお話でした。
自分の体は自分のものだと知っていること、イヤなことをされたときには「イヤだ!」と言って良いと知っていること、相談できる大人がいると信じられること…こうした知識や拠り所がなければ、どれだけ「見守りカメラ」やら「防犯ブザー」やらを配っても、子どもたちを守り切ることは不可能なのです。
だからこそ私は特に3つ目の、相談できる大人であることを常に意識した上で、子どもたちに接しています。
「子どものすることだし」で済ませてしまいがちな場面こそ
印象的だったのは、保育園・幼稚園で実際に起きた例として紹介された話でした。
特定の女の子のトイレを何度も覗きに行く園児や、女の子を追いかけて腰を振るしぐさを繰り返す子など…正直に言ってしまえば、「まあ子どもの“あるある”じゃない?」と流されがちな話かもしれません。しかし覗かれた側の女の子はトイレのドアが開く音だけでも怖くなってしまい、園でトイレに行けなくなってしまったというケースもあったそうです。
大人だったら即時通報案件。
それを「子どもだから」で片付けてしまうのは、被害にあった子の人権を軽く扱っていることにも繋がりかねませんし…一方で、覗いてしまった子に悪いことは悪いとしっかりと教えて理解してもらわないと、その子のためにもならないし、被害者を増やす結果に繋がることも示唆されました。
子どもたちは「人の体が気になる」というごく自然な興味を持っているだけでもあるわけです。
私たち大人の役割は、「ダメ!」で終わらせることではなく…
他人の体を使って勉強しないこと
気になるなら、自分自身の体を知るところから始める
というルールを教え、代わりの選択肢を丁寧に渡していくことなんだと感じました。
体の名前を“ちゃんと言う”ことも立派な性教育
目・耳・鼻・口と同じように、性器の名前も“普通に”伝えることが大事だとも伺いました。
超ワカル!
…って人は、会場内に少なくなかったのではないかと思います。
大人側が「恥ずかしい言葉」「下品な言葉」として扱ってしまうと、子どもたちもそうインプットしちゃうんですよね。そうすると結果として…子どもは自分自身が被害に遭っても言葉で訴えられなくなるリスクが高くなります。性器やその周囲の不調も、大人に相談しづらくなるのです。
これは健康維持、生命に関わる大問題になり得ること。
鳥越先生からは、絵本を使いながら淡々とフラットに伝えていく手法がオススメされました。表紙だけであろうとも図書館で本を撮影して公開するのは褒められる行為ではないので控えましたが…津山市立図書館の蔵書にも、何冊も性教育に関する本があり、今回もたくさんの絵本などがリコメンドされていたことも付言しておきます。
いざというときに相談できる相手がいるかどうかで、結果が大きく変わることは多々あります。
これは子どもたちはもちろん、大人に関しても同じことで…話が自殺対策などにも一瞬及びそうになったこともあり、本当にそうだよな…と、様々な当事者支援に向き合い続けてきている身として、考え込んでしまいました。ともかく鳥越先生はお話が上手で、子どもたちに向けてお話をされる機会も多いからでしょうが…説明が楽しい上にメチャクチャわかりやすかったことも非常に印象的でした。
「赤ちゃんはどこから来るの?」に、どう答えるか問題
先生のスタンスはとてもシンプルでした。その子の年齢に合った表現で、ごまかさず嘘をつかず、正確に伝えるわけです。例えば…女の人には「おしっこの穴」「うんちの穴」「赤ちゃんが通る穴(膣)」の3つがあって、帝王切開の場合は「命の窓」を開けてもらって出てきたことなどを、絵や絵本を使いながら説明するちというものです。
ただそれは、何を聞かれても答えるというわけではありません。例えば夫婦生活などの生々しい話を尋ねられた際には、それは私のプライベートゾーンの話だからという理由で答えないという話には、何を尋ねても良いというわけではないのだと教え諭す意味合いも含まれていました。
そして何より大事だと感じたし、実際そう言われていたポイントは、事実の説明以上に「あなたが生まれてきてくれて嬉しかったんだよ」というメッセージを、その子のエピソードとセットで伝えるということです。ここはちょっと泣きそうになるくらいに込み上げるものがありましたね…普段接する子どもたちにも、自己肯定感をどれだけ強く持ってもらえるかを意識することが多いですし、インフルエンザ脳症になり5歳で急逝し臓器提供した愛娘・愛來(あいく・愛称くーちゃん)のことで私自身が講演させていただく際に、最近は最後に必ずお伝えしているメッセージと重なる部分も大きかったこともあって、何だか嬉しかったです。
まさに性教育は生教育だな、と感じたポイントでした!
その後も、ご自身の体験談なども交えた非常に興味深い、そして説得力があるお話を、ノンストップで90分たっぷり聞かせていただきました。
大人だって、イヤなことがあってもイヤだと言えないこと、多々ありますよね…。
でもそれってやっぱり…良いことじゃないはずです。そして、大人以上に配慮が必要な子どもたちの場合はなおさらです。だからこそ、何かあったらすぐ相談できるようになってほしいという思いが溢れるようなお話だったと思います。
子どもは子どもであっても自分のことは自分で決める権利がある、だとか…人生は選択の連続だから選択肢は多い方が良い、だとか…恐縮ながら、私自身が普段から言い続けてきていることと同じようなお話をガッツリしてくださったので、ついつい激しく頷きながら笑顔で聞かせていただくような時間帯も多くなってしまい、講演終了後にお話しさせていただいた際には、「メッチャ笑いながら聞いてくれていましたね!」と言われてしまいましたが…有難い時間でした。
多様な性を知ることも「子どもの相談先」を守ること
後半パートでは、LGBTQ+など、性の多様性についての話にも触れられました。
最近は議場では全く触れていませんが…議員にならせていただいた当初はLGBTの質問の人ねと言われるような時期もあった私です。性別は「男か女か」の二択ではなく、グラデーションのように多様であることや、実は非常に身近なテーマであるにもかかわらず見えない理由は”環境”にあること、そして、何気ない大人の一言の怖さなども具体的に指摘されました。
「わが子だったら絶対に許せないわ」
そんな内容の親同士の立ち話の事例などが共有されました。
“当事者かもしれない子ども”が聞いていたとしたら…その子は、もう二度と誰にも相談できなくなるかもしれません。
日常の中で体の話をしばしば実際に取り上げることで、相談しやすいような環境をつくり、言葉を重ねる。性器の名前も、目・耳・鼻と同じテンションで伝える。子どもの「NO」をできるだけ尊重する。「いやだ」「やめて」を言えたときは、それ自体をほめる。すべてに応えられなくても、「ちゃんと聞いたよ」という姿勢を返す。自分も学び続ける。わからないことは「わからない」と真摯に認める。専門家・相談機関に頼ることをためらわない…そうか、これをやろうと思って書き出したことだけでもまだまだあります。学びが多い時間でした。
性教育は、何か特別な教材を使った“イベント”ではなく、暮らしの中での声かけ・態度・空気づくりそのものなんだろうと思いました。
「性」をタブーにしないまちへ
議会の場でも、「人権」「尊厳」「多様性」という言葉は、本当によく登場しますし…私自身も多用します。
ただそれを“キレイなスローガン”で終わらせるのか、今日のように、一人ひとりの子どものリアルな日常や、性被害の現実と向き合いながら考えていくのかで、見えてくるものは全く違うと感じました。
性教育は子どもたちだけのためのものではなく…保護者のためでもあり、先生のためでもあり、地域の大人のためでもあります。
実は「誰にも言えなかった昔の自分」を抱えている大人こそが、こうした話を必要としているのかもしれないな…などとも思っています。
津山でも学校現場や地域・家庭の中で性の話題をタブー視せず、安心して話せる空気を育てていきたい。議会の場でも、できる限り後押ししていくつもりです。
書きたいことが多すぎて(書き切れていないけど)長くなりました。鳥越先生のお話は全てとても良かったけど、その中でも最高だなと感じたのが、押し付けない姿勢です。正しい知識を正しいルートで、誤解ないように知ってもらいたいと考えるのは当然です。
誤解や無知は人の命や尊厳を奪うことすらあり得るのですから。
ただその正しい知識を、どう受け止めるかはあなた次第。
そんな姿勢での押し付けない教育、大事だと思うんですよね!
本日はこんなところで。それでは、また明日!




