未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。
さて、津山市議会では質問戦も委員会審査も終わったけど…まだまだ9月定例会真っ最中です。決算質疑の準備で、忙しくしているところでもあり、今日はぶっちゃけ市役所に当庁するつもりはなかったのですが、急遽行かざるを得ないような事態になり、行ってきたところ。まぁ本気で議会に向き合うのであれば、少なくとも津山市議会の場合は9月が一年で一番ハードになることは当然なので、今月中は何とか頑張って乗り切ろうって感じで、このところはみずからを鼓舞しております。

そんな中ですが、今日はよその自治体の話に触れておきましょう。経験上、よその自治体の話に触れるとロクなことがない上に、すでにご存知の方も少なくないと思いますが…愛知県豊明市議会において、なかなか信じ難い条例が可決しています。
豊明市議会の9月定例会に上程された「スマートフォン等の適正使用の推進に関する条例」です。
これマジで可決しちゃうんだろうかと思っていましたし、かねてより一部の有識者やこうしたテーマに関心の高い界隈では全国的に話題になっていた件なのですが…まんまと議会を通ってしまったわけです。上にリンクを貼り付けた市長コメントでは、ネット上の誤解を正す趣旨で2時間は“目安”であること、通勤・通学時間は除外されることや、学習、eスポーツ練習で使う場合は除外されること、権利制限や義務付けはなく“促す”にとどまることなどが強調されています。

しかし…だったら、なぜ“2時間”という数字を条例に書くの?
ここが最大の論点と言えるでしょう…何しろ、数字は規範になるものです。行政が「目安」と言っても、学校現場や家庭に与える“空気”は強く、事実上の一律基準として機能することになるのは明らかです。「目安」であるにもかかわらず数値明記をすることは恣意的に見えますし、「余暇時間」の線引きが極めて曖昧模糊としており、通勤は除外、運動の参考動画も除外…と注釈だらけであり、条例本文の「余暇=自由時間」との齟齬が拡大しているように思えます。現場運用で揉める制度設計になっている印象を強く覚えました。「自由」は尊重するけど、家庭には“ルール作り”を促す…これは名目上は自由を謳いあげておきながら、実態としては家庭内規範を誘導する条例になり得る極めて危険な内容だと感じています。
津山市議会で私が貫いてきた立場を改めて当ブログ読者の皆さまにお示しする必要はないかもしれませんが…津山市の様々な現場と津山市議会において、私はネット・スマホ・ゲームの“一律規制”に強く反対する立場を一貫して訴えてきました。
理由は超シンプル…エビデンスと論理に反するからです。

かつて津山市教育委員会においても科学的根拠など全くない、デマ同然の言説を用いた啓発チラシなどが頒布されていた事実は、当ブログだけでなく議場においても何度も厳しく追及させていただきました。
二項対立(スマホvs学習)は時代遅れであることなどを強く指摘し、市教委は最終的に「一律の使用時間制限は求めない」と答弁しています。
少なくとも津山市においては、一律制限を想起させる啓発物の使用などは認めませんし、そうした指導がなされないように目を光らせていかねばならないと改めて思い、他自治体でこうした事例が出てきたタイミングで再びこのテーマを取り上げさせていただきました。
一日二時間以上、スマホやパソコンを触っている大人は非常に多いのではないでしょうか?
そして多くの子どもたち自身も、学びやコミュニケーション、そして居場所づくりにスマホなどのデジタル機器を活用しているわけです。子どもたちについても“守る対象”ではなく“意見を持つ当事者”として扱うべきだと言えるでしょう。

豊明市の本条例には全く賛成できません。
そして条例とは地方自治において、自治体が果たすべき役割、議会の責務を考えてみた際に、決して軽いものではないはずです。
津山市議会において私はこれからもエビデンスと論理、法的な根拠に基づいた議論を基本としつつ、当事者への傾聴と人間としての温かみを忘れない二つの軸を大切にしながら、近視眼的な“規制”ではなく”賢い伴走”を続けることを改めてお約束しておきます。
もしも各地で同趣旨の条例が広がるならば、なおのこと。
誤解を生む設計はつくらず、過ちはすぐ改める…シンプルですが、それが自治体をより良くするための最短距離だと思っているのです。

変だなと思うことや、納得できないことをスルーするのも一つの手段ですが、それはおかしいだろと声を上げるのもまた一つの手段です。本当は声を上げたいけど、何らかの理由でできない人の代わりを務めることも、場合によっては私の職務であり責務であると考えています。
本日はこんなところで。それでは、また明日!