未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。
本日は、美作大学の松尾先生のゼミ生の皆さまが中心となって段取ってくださった企画…ドキュメンタリー映画『プリズン・サークル』を、大学の100周年記念館5階の100周年ホールで鑑賞してきました。
予告編の動画だけでも是非、ご覧ください…多分、本編を観たくなるハズ!
舞台は、津山市とも縁のある島根県浜田市にある島根あさひ社会復帰促進センター。官民協働の“新しい刑務所”であり、日本で唯一、受刑者同士の対話をベースにした更生プログラム「TC(Therapeutic Community=回復共同体)」を導入している施設とのことでした。
取材許可が出るまでに6年、撮影に2年。
日本の刑務所内をここまで長期で撮影したのは、この作品が初めてだと言われている…と書くと、やたら堅そうですが、実際にスクリーンに映し出される映像から伝わってくるのは「制度」よりもむしろ「人」の顔(多くはモザイク処理されていますが…)、そして声や震える手足などでした。そして最初に書いちゃうけど…鑑賞後の意見交換の時間がまたとても濃くて、そっちが本編じゃないかと思うくらいの学びになったような気がします。
新たなご縁もいただけましたしね!
今日はネタバレは避けつつ…映画のごくごく概要と、その後の対話の時間で交わされた声を中心に、備忘録的な意味も含めて整理してまとめておこうと思います。
そもそも『プリズン・サークル』ってどんな映画だったの?
津山市立図書館などにもチラシが置かれていましたし…津山市公式LINEでも紹介され、本日も市の職員さんや社会福祉協議会の皆さまなど、大学生以外にも多くの福祉などに携わる立場の皆さまざが参加されていたことを把握しています。ただ恐らく、議員の参加はアイキャッチ画像に写っているように白石議員と私の二人だけだったので…「津山市の議員さんって、何だかとても元気が良いですね!」と言われるなど…”誤った印象”を与えてしまったような気もします。
話が逸れましたが、映画の内容を端的に言うと…
「罪を犯した者たちが、刑務所での”仲間”らとの対話を通じて“自分の言葉”と“人間としての輪郭”を取り戻していく物語」
…といったところでしょうか。
受刑者たちが向き合うのは、「自分が犯した罪」だけではありません。
例えば幼い頃の貧困、いじめ、虐待、ネグレクト(育児放棄も明らかな虐待ですが、映画本編内での受刑者自身のセリフでわざわざ別に言われていたことや、私自身が感じている一般の認知状況なども考慮して別に書いています)といったバックグラウンドや…恥辱や怒り、悲しみや孤立感、モヤモヤした名前をつけにくい感情など…。
そして、それを「言葉にする」という過程、行為そのものと向き合っている様子が、ここまで撮影するのかとすら感じるほどに…赤裸々に映し撮られていた印象です。
監督はアメリカの刑務所やTCを長年取材してこられた経験を持つ、坂上香さん。
受刑者たちが少しずつ本音を言葉にし始めていく過程が、抑制の効いたカメラワークで淡々と…しかし容赦なく映し出されていました。2時間超の長尺ですが、構成の巧みさもあってでしょうか…感じさせませんでした。
ただ観て終わりのイベントではありませんでした。
ゲストとして来られていたお三方…岡山少年院の福祉専門官、岡山保護観察所津山駐在官事務所の保護観察官、日本福祉大学ソーシャルインクルージョン研究センターの先生らからもお話がありました。
そして学生の皆さまだけでなく…福祉専門職(少年院・刑務所職員、地域の社会福祉協議会職員、行政職員、相談支援員など)や、養護教諭、スクールソーシャルワーカー&スクールカウンセラー、精神科で働く医師をはじめとした医療スタッフ、子ども・若者支援に関わるNPO関係者、保護司の皆さま…そして地方議員などなど、本当に様々な立場の人が集まっていました。鑑賞後に4〜5人程度のチームに分かれて、ほぼ初対面の面々で感想を話し合い、それを全体で共有するという形での交流タイムもありました。
現場で受刑者や少年と関わっている方からは、こんな本音も…「あれだけ自分の気持ちを話せる受刑者はほぼいない」「正直、現場にはあんなに自分の感情を言葉にできる人はほとんどいない。映画に出てくる彼らは“優等生中の優等生”だと思って見てしまった。」という本音のお話も聞けました。
裏返せば、それだけ「本音を安全に話せる場」が少ないということでもあります。
映画観覧だけして帰られた方も少なくなかったので、第二部のトークイベントは上のような状態でした。もっと多くの皆さまに観ていただいて、話ができたらなと感じたのが正直なところ。
心の中を言語化することには…もちろん本人の能力や資質も関係してくることですが、議会でも言い続けてきているように…”心理的安全性”の担保を後回しにして良いはずはないはずです。映画には映っていない、自身の中での葛藤などを言葉にできないまま埋もれてしまっている人たちの存在にも、自然と話が及びました。
犯罪を“起こす前”の支援をどう広げるか
多くのグループで共通していたのが、犯罪を犯した“後”のプログラムも大事だけど、その”前”の段階で、どれだけ支えられるかが勝負だよね…という視点です。
例えば…学校現場などで「気になる子」がいても、家庭に入り込むのが難しく、不登校・虐待・障害・経済的困難…全部セットで抱えている”かもしれない”ような家庭ほど、保護者とはなかなか会えないというリアル、親などの保護者に心配を掛けたくなくて(これには色々な理由があります)、子ども自身が「大丈夫」と言ってしまうケースなどについての意見も出ました。いじめ被害者やひきこもり、児童虐待などで長く当事者支援にも向き合わせていただいている身として、大いに頷ける話も多々ありました。
現場のリアルな“あるある”が次々と出てきて…学生の皆さまなど、参考になった方も少なくなかったのではないかと思います。
語れる場があるということ自体…“回復”や”支援”そのものかもしれない
映画の中では、加害者である受刑者がロールプレイの中で被害者役を演じる場面や、自分の過去を仲間に語る場面が何度も出てきます。
会場からは、話しながら自分の膝や手を何度も触っている人の緊張感、様々な感情が入り混じって涙ながらに話したり、言葉に詰まって話せなくなる様子や話し終えたときの安堵の様子、”それ”をここで話した勇気を認められる瞬間…などなど、細かい仕草や表情(実際にはモザイクがかかっているけど伝わってくる)が、とても印象に残ったという声が多く出ていました。
自分自身の事件とはなかなか向き合えない方が多いように感じましたし…それは理屈の上では、何となくわかるような気もします。
私たちも普段、別に罪を犯しているわけではなくても、自分のことはついつい棚に上げがちと言うか…割とそうなりがちじゃないでしょうか。そうしたある意味で自分勝手な考え方をしてしまう人であっても、他人の事件…他人の立場に立って考えることで、被害者側の思いを理解できる”場合もある”ことは、少なくとも示されていたメッセージの一つように感じました。当事者の立場では見えないことがあると、受刑者自身に気づかせるプロセスは、とても興味深かったです。
支える側にも“限界”がある現実
支援する側のジレンマも、現場に立っている方々から聞こえてきました。福祉職や教員が向き合える人数にも当然、どうしても限界があるわけです。私自身…当事者支援に取り組む中で、議員としての立場と、全員リソースを割けるわけではない現実とのギャップや公平性などの考え方とのバランスには、常に悩んできています。
「もっと早く出会えていれば…」と感じるケースが後を絶たないことや…「だからこそ、学校や福祉だけに押し付けず、地域で“関係の網”をどう広げるかが重要」という話も出てきました。例えば町内会や子ども会など、地域の行事の中でも…そこでの何気ない声掛けや気づきが、後になって効いてくるかもしれないということです。
ともかく、しっかりと誰かに気に掛けられていること…人として尊重されていること、一人の人間として誰かに愛されて認められてきたことが、どれだけ大切なのかを改めて知る機会になった気がしています。
“根っからの悪人”が本当にいるのか
まぁ結論から言えば個人的には”いる”と思っていますが…犯罪者=完全な悪、というイメージを、映画を通して揺さぶられた…という感想も、学生さんから出ていました。「小さい頃から“犯罪者=悪い人”というイメージで見てきたけど、受刑者の背景を知ると、単純にそうは言い切れないと感じた」という趣旨でした。
もちろん、だからと言って犯罪行為が許されるわけではありません。
一方で幼少期の環境や、誰にも助けを求められる環境になかったことが、確かに彼らの人生を形づくっているとも感じ…その複雑さを社会としてどう受け止めるかは、まさに地方議会でも議論すべき「罪と罰」「再犯防止」「子ども政策」に含有されるテーマだとも感じたところです。
”プリズン・サークル”は刑務所の中だけの話ではないのではないか
これは、決して「遠くの刑務所の中の話」ではなく…津山でも、岡山でも、日本のあちこちにいる「言葉にできない人たち」の話でもあるようにも思えました。ともかく、まさに人としての権利について考えさせられる素晴らしい企画でした。松尾ゼミの皆さまをはじめ…関係各位に感謝です!
映画の内容そのものについても、まだまだ書きたいことはありますが…あまり書いてネタバレになるといけませんし、結局今日も長くなってしまいましたので…この辺で我慢しておきます。興味を持たれた方は映画をチェックするのも良いと思いますが、下記の企画もオススメです。
議会中でなければ行きたい!
本日はこんなところで。それでは、また明日!



