津山文化センターは90億円級(?)の至宝。竣工60周年記念イベントで暴かれた、有り得ない裏話の数々!

未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。

本日は、実際には一昨日の16日の話なのですが、希望ヶ丘ホスピタルでのイベントの後に訪れた、津山文化センターでの贅沢な時間についてまとめます。

こんな企画でした。

何が贅沢って、

・津山文化センターができるまでの “ドタバタ裏話” を、私が議員にならせていただいた頃には部長を務めておられた、元津山市職員で、現在の津山文化振興財団常務理事でもある小坂田裕造さんが語ってくださる。

・しかも司会進行的に場をコーディネートされるのは、津山市のみらい戦略ディレクターでもあり、写真家・作家としても活躍する上に一級建築士でもある、稲葉なおとさんでした。

・そして竣工60周年を迎える建物ができる際、ホワイエのレリーフや館内各所のタイル作品などを手がけられた手掛けられた、建設当時を知る陶芸家の白石齊さんが登場して、「昭和から今に続く、津山の文化と建築の物語」を、生々しい“当事者トーク”で聞かせてくれる。

…という内容の、90分超の生ライブでした。

いやホント、無料で良いのかって思うくらいの興味深い話で…もっと伺いたかったってのが正直なところです…ので、本日は、その場に来られなかった皆さまにも、ざっくり雰囲気をお届けするまとめ版レポートとして、お送りします。

第1部は稲葉さんが聞き手となり、小坂田さんから話を引き出していくようなスタイルで進行。軽妙な掛け合いで、津山の宝の一つでもある津山文化センターが出来上がるまでの歴史を暴いていくわけです。

出発点は「女性たちの小さな声」

きっかけは、昭和30年代…婦人会など、当時の“パワフルなお母さん方”から出てきた声がそもそものスタートだったとのこと。「女性が集まれる場所が欲しい」「自分たちの活動の拠点が欲しい」…最初は本当に、そういう身近な願いだったそうです。

それを聞いていた、隣に座っていた私の身近な女性たちが、やる気を漲らせていたのはここだけの話…。

ともかく、それがいつの間にか…

「津山に文化会館を建てようじゃないか!」

という、市民全体を巻き込んだ大プロジェクトに進化していったというあたりから…往時の津山の“ノリの良さ”と“止まらない熱量”を感じずにはいられませんでした。
今もそれ…残ってますかね?

敷地が決まらない!11年の歳月が費やされた迷走劇

昭和40年(1965年)12月25日完成、今年で還暦=60歳を迎える津山文化センターは、実は話が出てから完成までに、実に11年も掛かったとのことでした。最初に「ここに建てます!」と想定されていたのは今の場所ではなく、別の敷地だったとのことでしたが…その土地が別用途に回ってしまうなどの事情で、最初の計画が消滅。まぁこの時点でオイオイオイオイな話なわけですが…色々と大変だったんだろうなと思うような経緯を伺いました。

正式にここに建てるぞと決まったのは、着工のほぼ1年前

稲葉さん:「図面まで描いておいて、敷地をひっくり返すなんて、普通は絶対あり得ないですよ」
小坂田さん:「行政マンとしても“あり得ない”進め方です(笑)」

みたいなイメージで、いやホント、笑いながらお話されていましたが…当時の担当職員の皆さまの胃はキリキリどころじゃなかっただろうとお察しします…。

敷地は決まった…ただ、設計はどうする?

敷地がようやく決まったと思ったら、次は設計者問題です。地元ゆかり設計者にお願いする案などもありながら…最終的に、川島甲士さんに決まるまで流れは、小坂田さんが当時の新聞や文書を読み漁っても結局は判然としなかったようです。建築を学んでこられた稲葉さんでさえ、学生時代には名前を聞いたことがなかったという川島さんは、有名なスター建築家ではなかったのかもしれませんが、結果として現在まで残り、多くの人が愛着を持つ建物を生み出しされたわけです。

津山らしい(?)、“ちょっと不思議で誇らしい人選”だと感じました。

90億円規模(?)の事業と、市民の「気合いの募金」

お金の話も生々しいです。当初事業費として2億5,000万円…最終敵には2億6,500万円に膨らんだという事業費は、当時としても大変な金額だったはず。一つの考え方として小坂田さんが、今の津山市の財政状況に置き換えて考えるという実験(?)を行ってくださった(当時の津山市の財政規模に対する事業費を、現在の津山市の一般会計規模に置き換えて、同程度の割合で考えてみるという試み)結果…何と、92億円…まぁ、約90億円クラスの文化会館事業だったということになりました。

当然、お金を調達しないと完成しません。

市の借金(地方債)、国・県の補助金に加えて重要だったのが市民…特に女性を中心とした皆さまの募金だったそうです。商店街・喫茶店・会社・居酒屋…あらゆる場所に募金箱が設置されていたとか。そしてさらに、町内会単位で 「割当額」と「達成率」が設定されていたというから、驚きでした。当時の“成績表”とも呼ぶべき写真資料は撮影しておくべきだったと悔いています。

良くも悪くも、「ここまでやるか」というレベルの市民総出の募金体制。

津山文化センターは文字通り、市民の皆さまの“血と汗と涙の結晶”として生まれたと言えるかもしれません。

第2部も引き続き稲葉さんの進行で、小坂田さんも壇上に留まられたのですが…主役は、何と言っても陶芸家・白石齊さんでした。

文化センターのホワイエ外側の壁など…じっくりご覧になったことがあるでしょうか?

光の当たり方で表情が変わる、あの味わい深い様々な色と形のタイルたち…実は何と、試作品や残り物のタイルを、全国からかき集めて運賃だけで送ってもらったものなんだそうです。潤沢に資金を費やせる状態ではなかったという理由もあり、最低限の統一感を出すために白・グレー・グリーン・ブルー系に色を絞って、残り物をうまく組み合わせることで独特の質感とリズムを持つ壁面を作り出されたとのこと。白石さんご本人はケロッとして、「貧乏じゃないと、こんなやり方は思いつかないよね!」ってな調子で笑い飛ばされていましたが…。

今の言葉で言えば、完全に「アップサイクル」です。

お金がないからこそ工夫する…残り物だからこそ、発想をひっくり返して生かしきる。まさに創造的再利用によって津山の宝の一部が生まれていたことを、初めて知りました。

これもまた、“津山の文化”の一つの顔だと思います。

近年の大規模改修により、様々な意匠が失われ、原型が分からないレベルに変わってしまった箇所などもあることが改めて嘆かれるような話も多々伺いました。ただ、白石さんが強調されたのは、エレベーターを付けること自体が悪いということではなく…設置場所とやり方の問題だったということ。元の設計思想を理解しつつ、別の位置でバリアフリー化ができる可能性もあったはずだというお話でした。

バリアフリーなどの新しい考え方と、文化財的価値をどう両立させるか。

これは津山だけでなく、全国の公共施設・文化施設が抱える共通課題ではありますが…一度失ってしまったものは取り戻せないという大前提も忘れてはなりません。

2019年改修と「当事者に話を聞かなかった」悔しさ

2019年の大規模改修について、白石さんはとても率直でした。改修が始まると聞いて、何度も市役所に足を運ばれたとのことでしたが…全く取り合ってもらえなかったとのこと。悔しさを滲ませながらも、その一方で…「全部壊されず、このホールを残してくれたことは、本当に有難い。何度でも頭を下げたいくらいだ」という趣旨のご発言もありました。

これらは“外側の人”としての白石さんの体験でしたが…議会人としての私自身にとっても、非常に重いメッセージへと展開されました。

「過去を有難く感じるだけ」ではなく、「未来の文化」をつくることの重要性

稲葉さんの話の持っていき方もさすがだなと思いつつ伺っていましたが…白石さんのお話は、文化センターから、津山全体・日本全体の文化の話へと広がっていったのです。日本中が「過去を見ること」に偏りがちであることや、天守閣を復元しても、それ自体は本物の文化財にはならないことなど、本質的な話が続きました。

「残すor残さない」の議論だけでなく、これからどんな文化をつくるのかを考えなければ意味がない。

そういうことだと私は理解しています。

あと…例えば津山市の城西地区にある名建築を、単に「物販スペースのように使ってしまっている」現状に対して、「自宅の庭で野菜や魚を売っているのと変わらない」という独自の表現での、なかなかに厳しいご意見もありました。

ともかく、”過去ばかり見る後ろ向きの文化”ではなく、”希望を持って前を向く文化”をつくろうぜ…ということなのだと、私は勝手に受け取っています。

未来よりも大切な過去なんてないってのは、私の政治信条でもありますしね!

偶然も含めた人の縁と、熱量の積み重ねでできた建物の中で伺ったお三方のお話は、とても印象的でした。特に、90年間を生きてこられた白石さんのお話を伺いながら、次の改修について話が及んだ際には…私自身が次の世代にどうバトンを渡すかなどについて思いを巡らせてしまいました。

どんなに素晴らしい文化施設も、残念ながら永遠ではありません。

10年後か20年後か…また必ず「改修」や「建て替え」の話が出てくるでしょう。

その際に”当事者”の声をきちんと聴くことや、元の設計思想をできる限り尊重しつつ時代に合ったのニーズと両立させること「全部保存」か「全部スクラップ」か、の二択ではない第三の道を探ること…などの視点を、しっかりと議会の中にも確保しておくことが肝要だと考えます。正直、その段階で私自身が議員を務めさせていただけている未来は想像できませんが…強くそう感じました。その先鞭をつけることは私の役目かもしれません。

この場をつくってくださった関係各位…そして、貴重なお話を聞かせてくださった、お三方に改めて感謝!

トークセッション終了後は、別のフロアに展示されていた白石さんの作品を鑑賞させていただきました。久しぶりの方や初めましての方々との交流などもさせていただき、本当に良い時間を過ごさせていただきました。皆さま、有難うございました!

本日はこんなところで。それでは、また明日!

三浦 ひらく

三浦 ひらく -PROFILE-

世界を暮らしやすく楽しく変えるため、相棒ひらくマと一歩ずつでも現状改善していくために日夜ハゲむ、1978年生まれの岡山県津山市議会議員。選択肢の多い社会を目指し、政治も手段の一つと捉え、地域振興、多様性理解促進、生きづらさ解消、表現の自由を守るための活動、インフルエンザ脳症撲滅、臓器移植意思表示推奨などをライフワークとして活動している。