未来拓く、みうらひらくです。
都合が悪いことの塊、みうらひらくです。
誰だって人に言えないことの1個や2個あるだろう。
3個、4個、5個…。
そのうちヒラクは数えるのをやめた。
プライバシー権は比較的新しく認められた権利。
子どもの頃に習った。
要するに、ひと昔前にはそんな権利は認められていなかったってこと。
年寄り連中にプライバシー概念が希薄だったりするのは、ある意味では当然だとも言えるのだ。
そして個人情報保護は近年さらに声高に叫ばれるようになった。
あらゆる情報をデジタルで管理するようになった現代。
数十年前ならリアル泥棒に入られでもしなければ盗まれることがなかったものが…ハッキングなどによる、言わばバーチャル泥棒によって盗まれることや、人為ミスによって流出することもあるのだ。
経路が増えている以上、情報流出の危険性はむしろ高まっているとも考えられる。
危険な世の中である。
しかしその情報、本当に守るべきものなのか?
クリアにした方が良い情報だって、実はあるんじゃない?
たとえばコレだ。
サラリーマンの皆さん、同僚の給料を知っていますか?
ご自身の給与明細を他人に公開できますか?
上記リンクの記事は興味深い。
小泉進次郎氏の「この国は終わっている…」発言のくだりはともかく(官僚にそんなアホいるのか…いや、マジで)、給料の透明化は個人的には超オススメだ。
今まで散々透明化してきましたが…トータル的に見て、マイナスだったなと感じた事は一度もない。
クッソ仕事をしない、言葉がイマイチ通じないような(比喩ではなく真面目に)人たちにも、これは効果があった。
仕事の評価は数字つまり給料である。
口先だけの評価など、本当は君も別に望んでいないんじゃない?
それともクリアにされると都合が悪いことでもやっているのかな?
数字の公開はモチベーションを保つために最も有効な手段の一つだろう。
守るべき、守られるべき情報は確かに存在する。
このご時世、どんな形で悪用されるかすら想像できない。
世の中にはドス黒い悪意が間違いなく存在するのだ。
悲しいことに、そして許しがたいことに、そうした悪意の結果を私たちは日々報道で目の当たりにしなくてはならない。
プライバシー権や、自己決定権に配慮すべきは当然だと考えている。
しかし、本来はそうした権利とは別のところにあるべき情報まで隠してしまうと…望ましくない結果になりがち。
昨日のエントリーでも透明化は時代が求めていると書いた。
どこまでクリアにできるかが、これからの組織・団体のあり方のポイントの一つかもしれない。
そして個人のスタンスとしても、信用に関わってくる点となるのかも…。

それでは本日はこんなところで。
また明日!