“See you again!” に込める希望。永遠のさようならでなく、また笑って会える日を信じて。

未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。

昨夜から少し遠方に出ているところです。実は家族が入院することになり、付き添いなどもあってのことなのですが、こういうタイミングってやっぱり、色々なことを考えさせられますね。また急に同じタイミングで家族の別の人間が入院することになったりと、人生何があるか本当にわからないものだなと改めて実感しています。

議員だろうと、珍獣だろうと(?)人間であることには変わりありません。

仕事モードのスイッチをちょっと切って、病室などで過ごす時間や家族との対話に身を置いていると、いつもの自分自身と感じ方や考え方がどうしても変わってしまうことを自覚します。要は、全くの他人と向き合っているのと、家族の場合とでは全く異なった感覚で接してしまうということです…ちょっとあまり上手に表現できないのですが、家族に対しての方が、むしろ厳しくなってしまうという意味です。

人は誰しも年を取る。それは逃れられないけれど。

改めて強く感じているのは、やっぱり”老い”というものの現実です。それはもう…47歳の私自身も日々痛感していることの一つではあるのですが、人間って、どんなに気持ちが若くても、体力も気力も、少しずつ、確実に変化していくものなんですよね。

「昔はあんなに元気だったのに」とか、「よく覚えていたのに、今はどうしても思い出せない」なんてことが、誰であれ…年齢を重ねると増えてくる。でも、それは避けようがないだけでなく、自然なことなんです。私たち自身もまた、今まさにその“未来の途中”を歩いているわけです。本当の意味で、まさに”自分ごと”であるはずです。

私自身も最近は徹夜作業なんてした日には相当に堪えるようになってきましたし、議会の質疑準備をしていても、集中力が途切れる時間が前より早く訪れるような感覚もあります。

気持ち的には、まだまだ若い者には負けませんどころか…まだまだ若いつもりだったりするんですけどね!

「思い出せない」より、「思い出をつくる」ことを大切に。

人間の記憶って不思議ですよね。脳科学的に言っても、思い出は“感情と一緒に保存される”らしい。つまり簡単に言えば、心が動いた出来事ほど長く記憶に残るってことだと理解しています。だからこそ、無理に「昔みたいに思い出そう」とするよりも、「今、新しい思い出をつくる」ことの方が、実はずっと大切だよなと思うんですよね。何しろ前向き、建設的ですしね。

笑ったり、泣いたり、怒ったり。

人と過ごす時間の中で生まれる、そういう心の動きこそは“生きている証”の最も大きなものの一つだと言えるでしょう。たとえ忘れてしまったとしても…例えば、その人と過ごした時間をその人が忘れてしまったとしても、ちゃんと自分の中に残っている以上は確かに”ある”んですよね。

大切な人と過ごす時間も、永遠ではない。

今回、家族と接する中で今更ながら改めて思ったのは、「どんな時間もいつまでも続くわけじゃない」ということ。現実として…良いことも、悪いこともそうですよね。

普段の生活の中で私たちは、ついつい“いつでも会える”とか、“また今度ゆっくり話そう”なんて思いがちです。でも本当は…また今度が永遠に来ないこともあるんですよね。これは、5歳でインフルエンザ脳症になり亡くなった愛娘・愛來(あいく)くーちゃんの話をさせていただく際などにも必ず触れる趣旨の話ですが、決して悲観的な話じゃなく、だからこそ今この瞬間を一期一会の精神で大事に考えるべきだよって話なのです。

「今この瞬間をちゃんと生きよう」って話です。

私がよく口にする…毎日ブログにも書いている「未来拓く」って言葉も、別にこれは遠い将来のためだけのスローガンじゃありません。私たちは常に未来の一部を生きているのです。今日という一日も、昨日の私たちの未来の一部なんです。100年先はもちろん…10年、20年先の未来を考えても、生活感や現実味が伴わず実感が持てないかもしれませんが、明日のことなら考えられるでしょう。それで十分!

明日を生きることも、確かに未来を拓くことだと思っています。

“またね”が言える関係を大事に。

人生の中で多くの場合、長く付き合う人≒大切な人と言えると思いますが、家族を含めて人との関係性は何度も変化していくものでしょう。別れもあれば、出会いもあり、再会だってありますが…いずれも避けては通れないものです。そんな中で、私としてはできる限り…どんな別れも“またね”という前向きな含みを持たせた終わりを迎えたいと思っているのです。

たとえそれが次がいつになるかわからないものだったとしても…またねはもうないのだという確信めいた思いがよぎったとしても…それでも“またね”って言葉には希望があると思って、今までにも可能な限り口に出してきました。「再度会いたい」という前向きな気持ちが明確に込められていると思うからです。

人は二度死ぬって話についても以前書きましたが…たとえもう会えなくなったとしても…誰かと過ごした時間の中に“自分の一部”がちゃんと残っているわけです。それが、人生の面白さでもある気がします。

いつか、自分も誰かに「またね」と言われる側になる。

人間、誰しも必ずいつか最期の日を迎えるわけです。自分が去るときには「あなたと出会えて良かった」「またね」と思ってもらえるような生き方をしたいなと思ったりしています。仕事でもプライベートでも結局、人の記憶に残るのは“何をしたか”より“どんな人だったか”だとも思います。

偉そうなことを言える立場ではありませんが、議員として活動している今も、「三浦ひらくがいてくれて良かった」と誰かに思ってもらえるような時間を重ねていきたいという気持ちで邁進しているのです。

結論:だから今日も笑って生きよう。

こういうテーマになると、どうしても“しんみり”しがちですが…私自身はむしろ逆で「生きてるうちは、笑ってナンボ!」だと考えています。

だから笑わせることにも貪欲。

もちろん笑えないことも沢山ありますし、不安も、怒りや悲しみも、淋しさなどの感情も、全部ひっくるめて人生だけれど…できる限り嬉しく楽しい時間が多い方が良いって思いに共感くださる方は多いはず。どうせなら大切な皆と一緒に、笑い合いながら過ごしたいものだなと願っています。自分自身の時間もちゃんと味わいながら、人との関係を大事にして、また次の“またね”に向かって進んでいけたら良いなと思います。そんな風に思う今日この頃なのです。

高校生の時にお世話になった英語の先生に「see you againにはgood bye foreverの意味もある、ここではsee you laterとすべきかもね!」って助言いただいたことが心に残っています。私の「またね!」は、see you laterでありたいなと思いつつ…ちょっと詩的かつ私的な表現でまとめておきます。恩師の一人が言われたように…確かに “see you later” の方が、日常の“またね”に近いニュアンスなのでしょう。ただ…それでも、今も自分はやっぱり皆との別れの際に“see you again” という表現をチョイスしたいなと思うんです。

“いつかまた”という希望ごと、心に残したいから。

それでは、本日はこんなところで。またね…また明日!

三浦 ひらく

三浦 ひらく -PROFILE-

世界を暮らしやすく楽しく変えるため、相棒ひらくマと一歩ずつでも現状改善していくために日夜ハゲむ、1978年生まれの岡山県津山市議会議員。選択肢の多い社会を目指し、政治も手段の一つと捉え、地域振興、多様性理解促進、生きづらさ解消、表現の自由を守るための活動、インフルエンザ脳症撲滅、臓器移植意思表示推奨などをライフワークとして活動している。