未来拓く、みうらひらくです。
真の意味でモテるとはどういうことかを考え続けている哲学者、みうらひらくです。
飾る…デコレーションするのは人間の本能的な欲求なのかもしれませんね。
装飾品の類が何千年も前から使われていたことは、よく知られた事実。
みずからを美しく保ちたいという欲求は、誰しもある程度は持っていると言えるでしょう。
実際保てるかどうかは全く別問題だけど。
仮にみずからを飾ることが本能であったとしても。
他者から見た際の自分の印象を好ましいものにするため、やって良いことと悪いことがある。
たとえば化粧。
少なくとも日本では、妙齢のほとんどの女性が経験するのではないかと思われる行為ですよね。
メイクは文字通り魔法のような効果を発揮することもあります。
このあたりは女性のみならず…実は多くの男性諸君の方がよく理解していることだろう。
お化粧マジックに驚いたことは何度もありますが、だからって化粧やめろなどと言う気はない。
特撮レベルの技巧は、何かしら別の分野でも使えるのではないかと感心したことすらあるわけです。
可愛い服を着たい、カッコイイ小物を持ちたい、ハゲたくない…そんな気持ちも全ては毛根同根だということ。
そう、モテたいってことなのです。
要するに承認欲求。
自分をよく見せたいのです。
誰に?
それは異性にであり、同性にであり、時には自分自身に対してであり。
”飾る”という行為の底にそうした思いが流れることは…否定できなくね?
否定しても始まらない事実。
ただ、問題はみずからが関与する数字を飾ってしまいたくなる気持ち。
やっぱこれはイカンぜ。
粉飾決算などの大きな例を引くまでもない。
たとえば年齢のサバ読み、スリーサイズの嘘、身長のごまかし…世の中にはちょっとした詐称が溢れています。
ちょっとしたものだから良いじゃんって?
そういう風潮で許されるべきケースも実際にあると思う。
しかしたとえば一昨日も少し触れたように…語弊を恐れず言えば、節税と脱税の線引きはグレー。
情報弱者は損をしているのが事実です。
線引きのラインが曖昧だと、ある意味で騙される人間が多く出てくる。
これは決して良いことだとは言えないのではないでしょうか。
情報を疑わない、あるいは自分から情報を取りにいかないというスタンスには、現代社会において大きな問題があると感じるのは正直なところです。
しかし正直者が馬鹿を見るような世の中では、やっぱりダメだと思うのです。
昨日の続きで政治団体の収支報告書の具体的問題を書くつもりが、啓発ブログみたいになってしまいましたが…続きは改めて。
ちなみに今日・明日はこのイベントに参加しております。
遊びにきてね!!
本日はこのあたりで。
また明日!!