世界的彫刻家の話から、芸術の向こう側に見る津山の本質。日本が失いつつある大切なものが息づくまちとは?

未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。

今日も一日バタバタと動いていましたが…芸術が語ることと、地域が抱えていることは、まるで全く別の世界の話のようでいて、実はとても密接に繋がっているのかもしれない。そんなことを強く感じさせられた、濃密な一日でした。土曜日ということで、朝から忙しくたくさんの人たちと連絡を取り合ったりしていましたが…実は午前中は自宅から一歩も出ずに過ごしました。そんな今日のブログ記事は、日中に当ブログでも何度も取り上げてきている武藤順九先生のアートイベントに参加させていただいた件。

”津山で生きる意味”を問い直す時間にもなりました。

津山文化センターで開催されたイベントは、武藤順九さんという国際的な彫刻家によるトークとドキュメンタリー上映、そして過去の展示の記録紹介を通じて構成されていました。昨今の津山市からの彫刻の巡回展示として、岡山市で新作展を行って、蒜山高原での特別展示へと繋がっていった流れ…建築家・隈研吾氏とのコラボレーションや自然との調和を重視した空間構成の意義などが紹介されました。

キュレーターとして取り組みの報告をしたのが長年の友人であったこともあり、とても興味深く拝聴しました。膨大な活動記録を単なる活動の報告にとどめることなく、「なぜこのプロジェクトが今、ここで展開されているのか?」という本質的な問いに向き合う構成が印象的でした。

順九先生は、ローマに長く(50年!)暮らし、世界各地を舞台に彫刻を創り続けてきた方です。ご本人の口から語られたのは、津山というまちの”残された原風景”がいかに貴重かということでした。正直、現場での参加者は多いとは言えなかったと感じましたが、津山への思い入れや愛情が伝わる内容で、多くの市民の皆さまに聞いていただきたかったと感じました。

順九先生の表現を借りれば、「ローマは2000年変わらないが、日本は50年で変わりすぎた!」という中、津山市には変わらない良さがあるというお話でした。

正直、かなり複雑な思いも抱きながら拝聴していましたが…この国の中で、いかに“風景の喪失”が進んでいっているのか。その中で数少ない例外として、かつての日本の佇まい、生活の痕跡、美的な秩序を未だに残している点が津山にはあるのだということでした。だからこそ、津山で活動を展開する意味があるのだと熱く語られた順九先生の言葉から、私としては、(そうか、ああ、津山を好きなんだな。奥さまの故郷である津山を、奥さまを愛するように、愛されているのだな!)と感じ取ったところで…結局そーゆーことですよねと言っても強く否定なさらなかったので、そうなんだと勝手に思っています。

片道分の資金しか持たずにイタリアへ渡り、肉屋の娘さんをモデルに絵を描いて肉をもらう、そんな生活からのスタートした青年時代のエピソードなどから、バチカンに作品を所蔵されるまでになり、やがて世界各地の宗教施設や文化機関、アートスペースで作品を発表するようになるまで、何十年もの時間を費やして取り組んでこられた経緯を、ほんの一時間ほどに込めて話されたわけですから、濃密にならないわけがありません。

宗教、文化、地域を越えて、人の魂を運ぶような風の道筋を世界中に届け、刻んでいくという壮大な構想を実現するプロジェクトの9回目です。順九の九にあたる…まさに記念すべき(?)”出雲編”の中核をなす舞台として津山が選ばれたわけです。今後の津山での活動のあり方等についても、マジですかソレと思うような言及がありましたが…正式決定していることではないのかも知れないので、ここで書くことは控えておきます。

結局のところ最後は、“人の和”がなければ成し得ないのだと…そういう話だったと理解しています。

言葉遊びのようになりますが、和は輪であると同時に環でもあり…順九先生の作品のモチーフとして非常に重要な意味を持つメビウスの環でもあるのだと、そう思います。全く同じように考えて、よっぽど質問しようかなと思っていた疑問を、報道関係の方が先生に尋ねてくださったのですが…モチーフとしてのメビウスの環には生命の循環や普遍性、輪廻転生などを象徴している面もあるとのことでした。

アートと政治、まちづくりなどを結びつけるのは無粋にも思われるとは思いますが…こうした言葉の裏、作品の中に込められたであろう思いの数々に思いを馳せると…議員という立場で行政や地域と向き合う私にも、強く刺さるものがあったのです。

芸術の力でまちを再生する。

そんな趣旨の言葉は津山市でも市長も事あるごとに口にされますし、他の自治体などでもそこら中で見聞きする表現です。ただこれは、口にするのは簡単ですが現実には非常に難しいことであり…具体的にどう取り組んでいくのかをハッキリと示せているケースは多くないと感じていますし、ましてや成果・効果を胸を張って示せるものなど極めて少ないと言えるでしょう。

津山だけの問題でもありませんが…津山市議会議員として、津山市における芸術文化資産の活用や振興をどう考えるかは、大きな課題の一つだと思っています。支える“人”がいない、あるいは少ない、後継者が育っていない問題があります。そしてもう一つには、そこに“価値を見出す目”が育っていないという観点もあると思います。ただ…誰かに言われる筋合いなどない、自分以外に決められるような話ではなく…価値観なんて押し付けられるようなものではないわけで、個人が成長していく中で醸成されるものだとも考えています。

順九先生の活動は、まさにその両方を問うものだと思っています。

武藤順九先生のお絵かき寺子屋体験!見よ、俺の葉っぱの一生を!

2021-07-28

武藤順九先生のmy硯づくり!世界に一つの一生ものを自分自身の手で。

2021-11-14

以前も書いているように、子どもたちの自由な発想を尊重するやり方を見てきましたし、私のオリジナリティー溢れる作品たち(?)も、決して否定されない姿勢は、世界的に活躍する大先生でありながら素晴らしいと思っています。

津山の自慢の一つで、今までに施設整備などのハード事業で市として約1億1,500万円を費やしてきていて…指定管理料などのソフト事業としても年間800万円以上、トータルで約6,000万円が費やされてきている、津山市川崎にあるPORT ART&DESIGN TSUYAMA(旧妹尾銀行林田支店)を見て、このまちから世界に発信できると確信したという言葉は、軽く言われましたが、重いものであったと議員としては受け止めています。

“歴史あるもの=文化資産”という単純な話ではなく、“歴史を活用して何を伝えるか”という視座の話です。

都市開発や再開発によって、地域の風景が更新されていくのは避けられない流れだと思っています。しかし、すべてを利便性や収益性だけで判断するならば、津山のような地方都市に残された価値は、あっという間に消えてしまうでしょう。

そしてそれなら、政治の判断に人が携わる意味すらないかもしれません。

日本が失いつつある大切なものが、津山にはまだある。

この言葉は、単に芸術家のエモーショナルな表現にとどまるものではなく、私たちが見逃している現実の核心を突いているように思えてなりません。

原風景よりも、もしかしたらもっと大切なもの…世界に誇れるものは、場所だけでなく、私たちの中にこそあるのではないでしょうか?

それこそ議員のクセに(?)エモーショナルな表現をしてしまいましたが…まずは私たち自身が信じなければ、どこにも伝わらないと思いますし、実現など決してできないと考えているのです。

参加者のお一人から「ひらくマガジン、私ファイリングしてるの!」という声をいただけたことも、大きな収穫でした。

本日はこんなところで。それでは、また明日!

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三浦 ひらく

三浦 ひらく -PROFILE-

世界を暮らしやすく楽しく変えるため、相棒ひらくマと一歩ずつでも現状改善していくために日夜ハゲむ、1978年生まれの岡山県津山市議会議員。選択肢の多い社会を目指し、政治も手段の一つと捉え、地域振興、多様性理解促進、生きづらさ解消、表現の自由を守るための活動、インフルエンザ脳症撲滅、臓器移植意思表示推奨などをライフワークとして活動している。

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