未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。
三が日が終わると毎年やってくるのが、「明けましておめでとうございます、いつまで言っていいの?」という、地味に難しい1月あるある問題です。
過去エントリーを検索すると2018年や2024年にも関連記事を書いていますが…結論としてはコレ、「松の内(まつのうち)まで」が最も無難な答えとされているようで…そもそも関東(1月7日)と関西(1月15日)で文化が違うわけですし、中には三が日限定って考え方の人もおられるかもしれませんが…まぁ、さすがに概ね今日はまだセーフでしょと勝手に思っています。
市役所での仕事始め的な場でも連発することになるでしょうが、それはまだ先の話。
本日は両親を墓参りに連れ出し、息子も初参加
少し無理やりに連れて行った感もあったような印象でしたが、両親と共に墓参りに行ってきました。最終的には行けて良かったと言ってくれたので、まぁ結果としては正解だったんじゃないかな…。
一昨年の夏に、両親と数年ぶりに訪れて以来の場所に、今回は初めて息子も一緒に連れて行くことができたことは良かったと思っています。三世代でってことになると思うので…まぁそれだけでも、家族にとっては大きな意味があるかなと自己肯定しているところです。
“たった一年半弱”は、されど”一年半弱”…時間は冷静に残酷に進む
時が薬になるという表現はよく聞きますし、実際にあると思います。私自身も実感しているところですが…時間には残酷な一面もあるわけです。当然ながら誰にとっても時の流れは変わることなく、止まることなく進んでいくものです。
上にリンクを貼り付けた前回の墓参りエントリー内でも、両親の体力の衰えについて触れていますが…たった一年半弱の間に、さらに歩くことが簡単ではなくなってしまった父と母の姿を目の当たりにして、正直言って複雑な感覚がありました。でも同時に、共に来られたこと自体に感謝する気持ちもまた、偽らざる実感でした。ご先祖さまに祈りつつ手を合わせながら、そんな思いも去来していたのです。
受け容れられないのは、老化そのものじゃなくて「自分の甘え」かもしれない
前回の記事で自身が書いていたことが、今日改めて私に刺さりました。
両親に対して本来は誰よりも優しくあるべきだと思う一方で、実際にはなかなか難しい。
それは、気持ちだけはいつまでも若いつもりですが四捨五入したら50歳になるような年齢になり、明らかに自分自身の身にも発現している老化を受け容れにくいのと同じように…両親の老化を受け容れられないことも“甘え”や”逃避”なのかもしれない、という話です。
「昔は普通に歩けた」「前はこうだった」って、頭の中では比較が始まるわけですが、比較したところで、現実は1ミリも改善されない…若返ることなどないわけですよね。だから本当は比べる方向に頭を使うより、“今ここにある状態”を現実として受け容れて、どう優しくできるかを考える方が、どう考えても建設的なわけです。
優しさとは実は”やり方を変える勇気”でもある
前回のエントリーでは「身内に厳し過ぎると言われがち」という自覚について書いていましたが、今回も恥ずかしながら妹から同様の指摘を受けています。
これは別に身内に甘過ぎる政治とか議会とかの現場に携わっている反動…ではないと思っていますが、”優しさは時に厳しさでもある”という考え方をずっとしてきています。ただこれについても、厳しく接しても状況改善が期待できないなら、やり方を変えるべきという整理をしていました。
今日の私には、この文面を認めた際の気持ちが欠けていたことを反省しています。
優しさって感情の発露は、「手段の選び直し」で表現すべきかもしれません。
厳しさで押すのがダメなら、別の優しさに切り替えるのが…多分、大人の仕事ですね。事実、子どもたちと向き合う際などは私自身、そうした優しさを持って接しているような気がします。
“明日が来る保証はどこにもない”から、今を雑に扱わない
さらに前回の記事では、災害や事件・事故の話などにも触れて、「いつ誰が急にいなくなるかは誰にも分からない」という現実を言語化していました。そしてその文脈で「だからこそ毎日を真摯に精一杯生きないといけない」とも書いています。
今日、手を合わせているとき…まさにそこに戻ってきました。
本当なら、こうした機会がもっと多い方が良いことはわかりきっているわけですが、毎日墓参りに行くことは現実的じゃない。墓参りに行けない日のほうが圧倒的に多いからこそ、日々の過ごし方で帳尻を合わせるしかない…つまり、今日を雑にしないってことです。
誰かに対して雑にしないのと同時に、自分に対しても雑にしないってことが大事だと思います。
「発信してて良かった」と思える連絡が届いた
ちょうど…全く別のSNSでの話ですが、発信していた甲斐があったなと思うご連絡をくださった方がおられたタイミングでもありました。
日々割と、戦いに近いような生活の中で働いている感覚もありますし…そんな中で、正直を言ってしまえば、優しさを仇で返されるようなことも旧年中には少なからずありました。でも、だからと言って自分自身が常に臨戦体制でいたら、自分だけでなく周囲も疲れきってしまうなと感じています。
その連絡と墓参り、前回記事の“過去の自分の説教”が合体して、「優しさの出し方をアップデートしよう」という気持ちになった一日でした。
こんな小さな個人的反省ポイントを改善できないようでは、市政をより良くしていくための仕事など出来ないような気もします。
自分自身に近いところも含め、より周囲に優しくあれる2026年に!
精進あるのみです。
アイキャッチ画像で息子は顔を隠しているわけでも、「一番!」と叫んでいるわけでもなく…「セブン!」と叫んでいるのですが、指差した先にあった空がこちら。
ちょっと天才すぎん?
彼のこの視点、センスを見習って生きたいです。
本日はこんなところで。また明日!







