未来拓く、みうらひらくです。
先日運転していて側溝にハマった、みうらひらくです。
慣れた道でも気を付けないといけません…これは運転のみならず。
昨日紹介したLGBT講演会のアンケート内容について、思うところを書いておこう。全てを引用すると超絶に長くなるため、俺が特に重要だと感じ、太字で強調させていただいた部分についてのみ触れていく。詳しくは昨日のエントリーを参照していただきたい。
ちなみに紹介した内容はほんの一部だけです。有難いことに、多くの皆さんがビッシリとアンケート用紙を埋めてくださったのだ。参加してくださった方々の思いは講師と自分にはメッチャ伝わってきました。本当に感謝いたしております。
きちんと自分の言葉で心を込めて
わかりやすさは超大事。そして自分の言葉で噛み砕いて説明することは、周囲の理解を得るために必要不可欠だと思う。本に書いてあることをそのまま喋っても、共感や感動は得られない。
実際の方の話は子どもたちが聞けていない
やはり当事者の話は説得力が違う。同様にアンケートも聴衆(つまり講演を聞いた当事者)の生の声であり、非常に意義深い。
体験談、ご両親へうちあけたことの場面、地域の方の理解
カミングアウトの苦労を語ってくださったシーンはハイライトの一つだった。両親の理解を得られるまでに13年掛かったにもかかわらず、親友はすぐに理解者となってくれたという話は示唆深いものがあった。住民の母数が少ない田舎では、都会以上に世間体を気にする向きの割合が多いことはやはり確実なのだ。
子どもたち・保護者の方に聞いてほしい、いっしょに聞きたいお話
そう感じてくださった向きは少なくなかったようだ。同様の声が複数届いているし…今回の講演会をキッカケとして実際にそうした会の開催に向けた動きが出てきている。素晴らしいことである。
「聞くと理解できる」は本当
LGBTについての知識も感じかたもそれぞれバラバラだった60人の参加者が、程度は違えど理解を深めることができたと一様に感じられたのは事実だろう。やはりまずは話を聞いてみることが大事なのだ。
「〜してあげたい」という無意識の上から目線
これは自分自身、書いてくださった方に感謝したいフレーズだ。LGBTに関することだけではなく、日常のちょっとしたシーンでもこうした無意識の上から目線になってしまうことは、正直多々ある。上から見られることも少なくないゆえ、よ〜くわかるのだが…見られた方はその”上から意識”を敏感に感じ取るものなのだ。
「知ること」の大切さ
結局はこれである。知ることと知らないことは全く違う。イメージは大切だが、実際に知ることで印象は変わる。知ろうとするスタンスを持つことも大事だが、知ってもらう側のスタンス等についても、思うところがあった。
「自分と同じような人もいる」安心感
非常に率直、正直な感想だと思う。周りと違っても大丈夫…この力強い言葉があったとしても、こうした安心感を欲する人は少なくないだろう。それはそれで全然構わないと思う。全て人それぞれだ。
体や知的な発達のこと、人と人との尊厳全てに通じる話
LGBT・性的マイノリティーというテーマに特化した講演会だったが、自分としてはその奥にこうした意図を感じ取ってもらえれば最高だと考えて開催した。誰もがマイノリティーになり得るし、本当に大事なことは聞いて、知って、理解して…その後、どうするかである。
講演は大概岡山市などの大都市で開催される
そうなのだ。こうしたテーマに興味があっても多くの講演会などはそれなりに大きな街でしか開催されない。人が集まらないからだ。それを覆した今回の会はひとまずは大成功だったと言える。マネタイズという難問を放置したままでそう言うのは極めて狡猾な表現だが。
内容も軽めなもので、楽しく学ぶことができた
これは大きいと思う。事前に講師とは簡単に打ち合わせただけだったため、素晴らしい状況判断で皆さんの反応等を見て内容や表現を調整してくださったと感じているが、専門家や教育関係者ばかりではないああいった場で、ほぼ全ての人を満足させるには軽い表現で、深い内容を伝えなくてはならない…しかも楽しく。主催した自分自身にとっても勉強できる点は多かった。
子育て世代の人にもきいて欲しい
全人口の3〜8%は存在すると推計されているLGBT層の人たち。もちろん自分自身の周囲にもいるだろうが、自身の子どもが該当する可能性も決して低くない。そうでなくとも子どもの周囲にもきっといるだろう。知識を持っておくことは必要だと、自分も強く思う。
託児があればいい
おっしゃる通り。こうした会の際の要望として言われることは多いが正直、ハードルが高い。ただ託児に限らず、お手伝いしてくださる方は常時募集いたしております。自薦他薦を問わず、立候補歓迎です。
LGBTのことを考える時には、私は日本の性教育の現状の難しさがネックになっていると思います
まさしくその通り。日本の性教育は(って言うほど海外を知らないし、それほど参考にする必要もないと思っているが)ハッキリ言ってダメダメである。自分自身が受けてきた性教育、周囲にヒアリングしてみても、イイね〜と思えるような話は聞いた試しがない。むしろ俺に教育させろと思うのは俺だけではあるまい…いや、ここはエロい話抜きで真剣に言ってますよマジで。
「自分らしく生きること」のための性教育、それが教員の創意工夫で実施できるようになること
残念ながら日本では教員の創意工夫で性教育をすることには非常に高いハードルがあるのが現状だ。実際デリケートなテーマであることは否定しないが、必要以上に様々な口出しをする向きが多いのも事実だろう。主観を排し、枠にはめていく方針によって健全な教育ができると考えているのだろうか?大きな矛盾を内包していることに気づかないことが不思議である。
子どもも大人も大事にされる社会
これは重要。ついつい社会的に弱い立場である子どものことばかりに目が行きがちだが…大人も大事にされなくてはならない。当然だ。成人したでしょ、ハイそれまでよ…ってわけには行かない部分があるのは現実問題、当たり前でもある。もちろん自助努力は必要だが、そーゆーこと以前の、人として尊重されるって意味での、大人も大事にされる社会って意見には自分も賛成。
「あなたらしく、そのままでいいんよ」
お母さんが学校のことで思い悩む娘さんに伝えたいと書いてくださった一言。この一言を親から言ってもらえるのともらえないのとでは、子どもの成長に大きな違いが出てくると思う。適切な範囲の自己肯定感を持たせてあげることは、教育に最低限必要なことではないだろうか。まぁ…その”適切な”ってのが超難問なんだけど。
LGBTのみならず発達障害や定型発達の子ども、全ての子どもたちがのびのびと生きていける世の中
質問があったので昨日のエントリーにもリンクを貼っておいたのが、定型発達とは発達障害ではない人を指す言葉のことだ。実は俺も少し前まで知らなかった。こうしたカテゴライズは正直、あまり好きではないのだが…理想実現に向けて現実にできることを継続していくのみだ。40歳、ますます気合いを入れていきますぜ!
さて、例によって長くなったので続きはまた改めて。
本日はこんなところで。また明日!