未来拓く、みうらひらくです。
すぐに感動しちゃうタイプ、みうらひらくです。
そしてすぐ泣く。徳光さんのポジションを狙っていたのだが、織田信成の登場によりその夢は潰えた。
男は人生で3回しか泣いてはならんと言われて育ったことは、当ブログでも何回か書いてきましたが…。
このご時世…男は〇〇、女は〇〇みたいなのはもう良いでしょ!
泣きたい時には泣けば良いのである。時には我慢するのが良いこともあるだろう。我慢は確かに人を強くする。だが、度が過ぎる我慢は良い結果に繋がらないのもまた事実。俺は泣きたい時には泣くし、笑いたい時には笑いますぜ。
喜怒哀楽の感情を、なるべく殺さずに生きていけるような社会が望ましい。誰もが自分自身を素直に表現できる場が、もっともっと多くなれば良いと考えているのであります。昨日のエントリーは、津山市執行部に俺を入れてくれという現市長への提案だった。
しまいには前市長も入れてくださいと勝手に言っている始末。
今回も何人か有難いご意見を届けてくださった方がいた。今月末には発表になるだろう人事、実際には既にある程度決まっているであろうことは重々承知の上だ。それでもなお、俺は上記エントリー内容をふざけて書いたわけではナイことを再度断言しておこう。かつての敵が仲間になるといった感動や美しさといった要素が政治に必要だろうか?と投げかけてくれた方がいた。
喜怒哀楽、何の感情であっても…感動できるようなエピソードは人の心を動かすものだ。感動とはそもそもそーゆーことであり、その目的達成の過程で人を動かす必要がある以上、政治には不可欠な要素だと俺は考えている。
二度にわたる”津山市を二分した戦い”を経た現市長と前市長の間には、様々な障壁があるだろう。
そこを乗り越えるからこそ美しい。
感動の思いが生まれるのは、そうした”有り得ない景色”を目の当たりにしたときだ。
現市長と前市長が手を取り合って津山の未来のために協働する。
その方が効率が良いハズだ。それぞれの長所を生かして、短所を補い合える。連続性も担保されるのだから。
これこそが市民に求められていることではないのか?2人とも男を上げる良いチャンスだぞコレは。
あ、男を〇〇とか言わないって言ったばかりだった。
あれ…ところで俺は要らないのかな?いやいや、そんなことはない(ハズ)!
現市長、前市長といった先輩方にはない新しい発想、そしてしがらみが一切ないからこそ可能な軽過ぎる(?)フットワークが生み出す動きは、津山市政に必要なものだと俺は(自分で)信じている。
ビジュアル的にも(劣化著しい自覚はあるが)、若い層が前に出てきた方が見栄えが良いのは(基本的には)間違いない。
美しさこそ、政治に最も欠けている要素の一つだ。政治からかけ離れていると言ってもイイ。汚い、怖い、面倒くさい…腐敗や権力争い、しがらみなどの象徴として、政治はあらゆるシーンで避けられるテーマの一つだ。公共レンタルスペースなども、政治をテーマにすると借りることが出来ない場所は少なくないのである。若干話が逸れかけたが、津山市政に必要なのが俺だと一番声高に言っているのは俺自身だ。
こーゆー人間がもっともっと出てきて欲しい。
自薦他薦は問いませんが、他薦がある人間はその時点でしがらみにまみれている可能性が極めて高いのも事実だ。
しがらみを排除して、一緒に戦おうぜって人を俺は求めている。
そして津山市…つまりは多くの津山市民も、本当はそれを求めていると信じております!
本日はこんなところで。また明日!