未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。
本日は、会派ツヤマノチカラの仲間である田口議員が前日に誘ってくれた津山市のお隣の自治体の一つ…真庭市にて開催された市民公開講座に参加してきました。別の予定を入れていて、なかなかスケジュール的に厳しい中ではあったのですが…半分プライベート案件だったこともあり、調整して伺いました。まさに津山市議会の6月定例会で取り上げたテーマの一つに関係することでしたから、津山市に対して取り組まないのかと訴えかけたような取り組みかもしれないという期待感(?)と言うか、確認しなくてはならないという謎の使命感のようなものがあったため…行かざるを得ないなと思って参加した企画は、下記のような内容でした。

以前、勝央町で似たような趣旨(?)の会に参加して、所感をまとめた記事が揉め事の種になったことがありましたので…内容が好ましいものではなかったとしても、表現の仕方は考えた方が良いかもななどと思いながら伺ったのですが、結論から言えば思ったほど突っ込んだ内容ではなく、講師の先生のお話はデータに基づいた至極ごもっともな主張が多く、ちょっと拍子抜けという印象でした。このテーマに関しては私自身もかなり勉強をさせてきていただいており、講座の中で取り上げられていたICD-11に関しても調べたり、専門家の先生のお話を伺うなどしてきています。
とは言え…もちろん医学的な見地から物を言えるような立場ではありませんし、知識も生半可な物であることは自覚していますが、ある意味ではだからこそ…議員として、こうした取り組みを行政が関係して行うこと自体が、少し行き過ぎではないかと感じる部分や、誤ったメッセージを発信してしまうことになりかねないことを危惧しているのです。かつて津山市、津山市教育委員会がが取り組んでいた内容は明確な誤りを含む、極めて偏った主張を採用したものでしたし…当時届いた、子どもたちや保護者からの切実な声は、これから先も忘れてはならないことだと思っており…今の自分自身の活動の中でも大切にしています。
どうしても開会には間に合わなかったので、少し聞き逃していますが…会の中で説明されていたことをメモをもとに、軽く箇条書き的にまとめておきます。

・誰しもが依存症になるとは限らないが、依存症的な傾向は多くの人に存在しうる。
・ゲームやスマホが悪いというより、それらが“手段”であり、本人の生活や人間関係との結びつきの中で問題化する。
・依存とされる行動(例としてゲームだけでなく勉強などへの言及もあり)も、社会参加できていれば依存症とは言い切れない。
・依存症とみなされるかどうかは、その人が社会に参加できているか、他者との関係を築けているかによって左右される。
・ゲームやネットを居場所とする子どもたちがいる現代では、こうした傾向を一概に悪とすることはできない。
・子どもが社会的に孤立していないか、家庭や学校など周囲がどう関わっているかが重要。
・特性(例として発達障害などが挙げられた)によって、依存傾向が見えにくいケースもあり、支援や見守りの工夫が必要。
・講師はスマホ自体を否定しているのではなく、「人とのつながり」や「因果関係の誤解」に注意を促していた。
・スマホやゲームを単独で“原因”と見なすのではなく、背景にある関係性や生活状況を含めて捉えるべきというメッセージだった。
ちなみに、津山市に対して、私は津山市教育委員会において実施された”スマホ等の利用に関する実態調査”という取り組みを切り口に、6月議会の質問戦の中で下のようなやり取りをしています。当該部分に関する再質問の部分から始まりますので、是非とも動画でご確認ください。
教育委員会だけでなく、こども保健部にも話を投げかけ、もし本当に健康で充実した生活を送るために必要なのであれば、大人のスマホの使い方を考えるという視点も大事なんじゃないか(全然そうは思っていませんが…)という趣旨で質しています。企画自体がそうした意識を持たれた上で実施されたもので、何らかの取り組みを伺えるのかなと考えて参加したのですが…実際には子どもたちのことが話の中心で、大人に関してもこうした考え方が必要かもしれない…程度の触れられ方でした。少し残念な気もしましたが、当然ではあるだろうなと感じた次第です。
本日の主催者挨拶の中でも、講師から「スマホ依存症という病気はない」と言われたことに触れられていました。
公権力が誤解を与えるような発信をすることは、厳に慎んでもらわねばなりません。ネットやスマホを居場所としている子どもがいて、同様に大人の中にも少なからずいて…それは必ずしも悪いことではないという事実に向き合った上で、社会というものを定義づけし直す段階に入っていると、個人的には改めて強く感じました。

本日はこんなところで。また明日!