未来拓く、みうらひらくです。
世襲制についての昨日、一昨日のエントリー。日本という国に生まれたこと自体が世界から見れば凄まじい世襲である…という意見を寄せてくださった方がおられました。
コレ本当にその通りだな…と。
私事ですが昨年、生まれ育った地である津山市の市議会議員選挙に挑戦させていただきました。
結果は惨敗。
振り返ると力不足だった上に、周りが見えていなかった感も凄かった。生来の”ええかっこしい”っぷりも捨てきれず。落選は必然でした。次点だったこともあり、いまだに惜敗と言ってくださる方もおられますが…あれは惨敗です。
要するに、言い訳のしようがないほどに負けたということ。
負けた言い訳を探す。その段階にすらなかったということを、一年経って痛感しています。恥ずかしながら…その後の一年間積み重ねてきたことが、まだまだ足りていないということも。
ネタや冗談じゃなく、本気で。少しでも読みやすくするために、毎度ひらくマさんに登場してもらってはいますけど…ふざけているわけではありません。
ぬるま湯に浸かっていても仕方ない、とか。視野を広く持たなきゃ…真剣に津山市のことを考えるなら、津山市だけを見ていてもダメに決まってるでしょ、とか。
選挙の時はもちろん、日常的に私自身が口にしていることです。でも、私自身全く実行できていないってことを思い知りました。
恥ずかしい…本当にね。
現代の日本という国に生まれついただけでも、恵まれています。飢餓に苦しむこともほとんどない、世界一の長寿国。基本的人権の名のもとに、様々な自由が保障されている社会。こうした国に生まれついたこと自体、確かに世襲であると言えます。
世襲とは、親から子へと受け継がれるもの。この国に生まれついたことは…私たちにとって名前よりも先に与えられたギフトなのかもしれません。
目指すは世界平和だなどとうそぶきながら、目先のことに気を取られ過ぎていたのは事実。
あえて恥をさらすことで、自分への戒めとします。
弱いところをさらす必要ないだろって、結構多くの方から言われているのですが…必要な時もあるってことです!!
共和国とは名ばかりの、世襲制による事実上の君主国が近隣にありますね。親が子に対して、財産や地位…生涯を費やして築きあげたものを遺してやりたいと考えることは、至極当然だと思っています。
どうするかは子の自由だとも思いますが。
こうした意味では世襲制を否定することは、親から子への愛情の否定に繋がりかねない恐れもあります。
そうした理由もあって(読んでいただければわかっていただけるとは思うのですが)昨日、一昨日のエントリーに世襲制を完全に否定しようという意図はありません。世襲か否かよりも気を配るべきことがあるという内容です。
天皇制などと国家の象徴を軽々にブログタイトルに取り上げることができるのも、現代の日本だからこそと言えるでしょう。
件の共和国では、まず許されますまいYO!!
日本国内でも今だからできる。
しかし親子の愛情の否定など…いつの世であれ、できるはずはありません。
以前書いたように、いつの日か政治家の役割すら人工知能AIに取って代わられる日が来るかも知れません。ですが、仮に親子の愛情などといった感情の機微を理解できるようなAIが誕生したとしても…その感情の主体となるのは人間です。
世襲に関してのエントリー、愛がなければ嘘だと言ってくださった方もおられました。
いかに結果や効率を重視すると言っても…最後に愛がなければ、私は喜べません。
ぬるま湯から出ないとダメだって話ではないけども、浸かっていることを忘れてはいけないと思う夜の独り言。
また明日!!