未来拓く、みうらひらくです。
悪口の中においては、つねに言われてる方が主役であり、言ってる方は脇役であるという宿命がある。
– 寺山修司 –
18歳から15年ほど続けた東京都民でなくなってから、既に4年強。
”当ブログでは個人への直接的批判内容は書かない方向性でございます”って言うのなら…舛添東京都知事の悪口なんか部外者が書くもんじゃないとのご指摘をいただきましたが…。
”それは違う!!”と思い、反論させていただきました。
この国には言論の自由ってものもあります。
部外者は部外者として自覚していれば(自覚がないと確かに面倒ですが…)、部外者なりの意見を述べるのは…ま、勝手にやれば良い話だと考えています。
ってか、そんな大それた捉え方しなくても全然OKじゃないかと。
そもそもその方向性自体、私の勝手なポリシーですし。
ただ私の中で決定的であるのは”批判と悪口は違う”ってこと。
私、悪口大好き!!…って公言している人には出会ったことがありません。
当然ですが誰だって言われて気持ちが良いものじゃないし、出来ることなら言いたくもない”はず”。
少なくとも、悪口大好きって公言している人がいないのは…それが良いことではないということが明白だからでしょう。
都知事のことを中心に書いた先日のエントリーは、最近書いた記事の中では最も多くのリアクションをいただいております。
個人的には有難いことです。
世の中には”人の不幸は蜜の味”なんて言葉もあります。
下世話だなぁと言いつつも…いわゆるワイドショー的なニュースに対する興味がゼロだという方は少ないのではないでしょうか。
日本人にはドMの人が多いんじゃないの?ってエントリーも書きましたが…叩くことへの渇望はあるのかもしれません。
…ドMの裏返しとしてのドSってことかしら。
いずれにせよ、批判と悪口は別物だと考えております。
その明確な違いは…ひょっとすると言っている本人にしかわからないことかもしれません。
私の考える両者の違いとはッ!?
対象となる人物にも直接言えるか?誰の前でも同じ主張ができるか?ってこと。
陰口なんてのは悪口の代表選手ですが、本人の前でも思いっきり同じことが言えるなら…別にいくらでも言えばいいと思う。
あ、自己責任ですYO!!
要するに自分自身のことを明らかにした上でする批判は、たとえそれが悪意に満ちたものであっても…単なる悪口とは少し違うのかな、と。
何しろ、人を悪く言うことって結構エネルギーも必要ですし、リスク高いですからね!!
まず聞いている人を不快にします。
結果として言っている人の評価は、ほぼ確実に下がります。
その覚悟があって、それでも誰かを叩きたい人間は叩けば良いと思う。
悪意のみでそれをやっても…誰が得するのソレって思いますけど。
批判には”愛”があるとも言えます。
批判って…実質的にはアドバイスってことですからね。
そういう意味では批判されなくなったら、それはそれで終わりかもしれません。
政治家が批判されなくなる状態ってのは、想像するのが難しいですけどね。
人との繋がり、絆などといった言葉はポジティブな意味で用いられることが多いと思いますが…それが一歩間違うと”しがらみ”に変化してしまうのと同じように。
批判と悪口も紙一重の関係ですし、発信者本人にしかその真意がわからない側面もあります。
しかし自分自身が誰に恥じることなく信じている意見を、堂々と述べることが許されないような社会になることは…決して看過できません。
自分自身を偽り、自分に嘘を吐かねばならないような状態を強いられる世界など、誰も望んではいないのではないでしょうか。
本日はこの辺りで。
また明日!!