未来拓く、みうらひらくです。
Seventeen’s map 改め Thirty seven’s mapじゃ、カッコつきませんなぁ…。
37歳で今現在のような状況でいるなんて想像もしていなかった17歳の頃。
えぇそうです、残念ながらもちろん…悪い方の意味でなッ!!
カラオケボックス発祥の地と言われる岡山県出身の私。
あの頃は”喧嘩にナンパ、愚痴でもこぼせば皆…同じさ”。
カラオケで尾崎豊を歌っていたわけです。
まぁ私はモテたかったから”売れ線”も歌っていたり、バンドもやってしていたわけですがね。
東京都民時代はカラオケにもよく行きましたが…津山市に舞い戻ってきてからは、一度たりとも行っていないYO!!
そんな私も…間もなく38歳になってしまうのである。
超久々に昨夜遅く”十七歳の地図”の歌詞を見て(何故かそんなの見ちゃう時点でアウトなんだが)、37歳のオジさんになっても響くものがあることに自分自身引く。
「か、変わっていない…全く成長していないということかッ!?」
「い…いやさ、そんなはずはないィィィ!!」
そう、優れた芸術作品が時を超えるのと同じように…まさしく優れた歌詞、楽曲である十七歳の地図が20年の時を超越したのだと。
聴くのは自制しました…深夜だったし、何となく。
あと、全然関係ないけど小学生の時に国語の教科書に載っていた”二十年前のサンマの化石”っていう話を思い出しました。
同世代の方、覚えている人もいるかもしれませんね。
20年経ったら変わるものもあるし、変わらないものもあるということです。
20年どころか…ほんの5年前までは、政治の道を志すなどとは一切考えていませんでした。
仲間内ではアナログ人間代表でしたし…ノートPCでブログを書いている今の姿は想像もしませんでしたね。
人は誘惑に負けるとか、悪口だのタックス・ヘイブンだの人間の弱い部分ばかりにスポットを当てがちな最近のエントリーですが…ポジティブな意味で、変化を受け容れる姿勢も大切だと考えています。
変わらないことにももちろん意味はありますが、これからは新しいものを受け容れる柔軟な考え方が今以上に必要になってくるはずです。
それはきっと人間の強い部分の話。
新しいものを生み出し、改良を加え、現状に拘束されながらも…より良い暮らしを追求していくことは、ある意味ではとても人間らしい幸福追求の姿だと言えないでしょうか。
昨日のエントリーに関し、悪口を肯定的に捉えることは”いじめ”にも繋がるのではないかという意見をいただきました。
当たり前ですが、悪口を肯定しようってわけではありません!!
悪口、陰口を言うような奴は基本ダメです!!
ただ…言うのは勝手だってこと。
自分の価値を貶めるだけになるかもしれないリスクを承知で言う奴には、言わせとけって話です。
よく言われることですが、アンチってのは実はほとんどファンと同義。
メチャクチャ嫌う≒実はメチャクチャ気にしているってことですから!!
”いじめ”はどのような形であれ…すべきではないことは当然です。
ですが、誰かと比較することによる相対的判断に基づく価値観の中で生きていく以上…”いじめゼロ”の実現は難しいのも事実。
肉体的な暴力は論外ですが、言葉の暴力は耐性さえあればスルーできます。
精神的な暴力の方が応える…といった言葉も見聞きしないわけではありませんが、正直なところ私は否定的です。
もちろん、言葉の暴力を肯定しようという話ではありませんYO!!。
それが暴力となるという自覚なしに、力を振るう者こそ真の愚か者。
真に強く、生きていきたいですね。
ではまた明日!!