未来拓く、みうらひらくです。
朝ZARDの負けないでを聴いて出かけた中3の県大会は初戦敗退、みうらひらくです。
無論ZARDのせいではない。
中3で190cm近い奴がいるなんてな。
ああ安西先生、今日はバスケの話じゃなかったですね。
桜はいつか散るものであります。
しかし”いつか咲くもの”ではない。
花は枯れるからこそ美しい…そんな見方もある。
桜嫌いって人いないの?的タイトルのエントリーを書いたところ、嫌いだというリアクションをくださった方が複数いました。
黙って花見しとけという辛辣なお言葉もいただきましたが…黙ってする花見って楽しいかね?
ところで、美人でも三日で飽きるという話がある。
それって大した美人じゃなくね?って話だけど…美的感覚ほど個人差が大きなものはない。
美人を紹介すると言われて美人が来た試しなど存在しない。
これには多くの男性諸君が同調してくれることだろう。
ただその主観も自分一人で作り上げたものじゃないことは、自覚しておいたほうが良い。
自分自身の考え方はもちろん、感性つまり感じ方ですら…間違いなく誰かしらの影響を受けているものだってこと。
積み重ねてきた経験などの上に、今の自分自身がある。
桜を好きだ、桜が美しいと感じているのは間違いなく自分の思いであろうと、その判断の前に実は色々と絡んでいるわけです。
小さな子どもの頃から花見に連れて行かれ、綺麗だ綺麗だって刷り込まれていれば…そりゃ普通に考えたら好きになるだろう。
グダグダ面倒なこと言わずに楽しむだけ楽しめば良いじゃんって声も否定しない。
それはそれで良いと思う。
ただ万事そのスタンスじゃ、危険かもしれんぜって話。
たとえば”さくら”と言えばコッチの意味もあるよね。
人が集まっているところにはさらに人が集まる…これはよく知られた話でしょう。
興味を引くための手段として、仕込みをしておくことには実際に効果がある。
心理学で言うところの”同調”ってやつ。
人は意識せずとも、他者と同じ行動を選んでしまうことがあります。
身に覚えない?
さくらを愛でること自体は良いことだ。
つか、津山市民としては津山さくらまつりには盛り上がってもらいたい。
しかし…みんなが綺麗って言ってるから綺麗なんだろとか、みんなが正しいって言ってるからそれが正解なんだろとか…そういう圧力めいたものに負けて、自分の信じる道を変えるってのは間違っていると思うのです。
”間違っている”ってのは適切な表現じゃないか。
”もったいない”の方がしっくりくるかな。
チャンス的なものとか…問題解決のヒントは案外、そっち側に隠れていることも多いのではないかと感じる今日この頃。
数が正義の色濃い政治の世界にも跋扈する”さくら”に負けないよう、咲いていきたいところです。
嘘の”さくら”に踊らされるのは、やっぱり腹立たしくないか?
だったらVRとかで十二分です。
本日はこんなところで。
また明日!