未来拓く、みうらひらくです。
虚勢を張るなら任せとけ、みうらひらくです。
しかし強がりは疲れるぞ。
ストレスでハゲるかもしれん。
さて、誰にでも自分の中で抱えていて他の人に言えないでいることの一つや二つはあることでしょう。しかしそれが余りにも大きな負担だった場合…いつかは綻びが生じてくるものです。
ずっと抱えておくことができないほど大きな荷物なら、いっそ下ろしても構わないのではないでしょうか。そして暫しの休憩の後…また持ち上げたり、時には誰かと一緒に持ったりしてみても良いと思うわけです。
人はそんなに強くない。
それは歴史が証明してきているし、多くの人が自分自身の身を以て理解しているであろう事実なのです。このところマイノリティーをテーマにしたブログエントリーを書き続けているためか、そうした苦しさの吐露を寄せていただけることが増えてきました。
誰もが何らかの点ではマイノリティーだと、俺は思っています。
情報提供もいただいております。コレ知ってる?とか、コレを読んでおいた方が良いよとか…そうしたご提案をいただけるのも非常に有難いことです。
中には非常に具体的に自分自身の体験なども交えてお話くださる方もおられますが、プライバシーに関わる問題もあります。先日紹介したようにGWには講演会を行いますので、その際のメインテーマであるLGBTについて、本日は公開されている一つの事例を紹介いたします。
「ゲイかも」息子の告白に救われた母 25年家族に隠したある秘密高校生の息子を持つ49歳の女性が、自分自身がレズビアンであるという気持ちに蓋をし続けてきた、悲しい話です。救いとなったのは、その息子さんが自分自身がゲイであるかもしれないとの告白をしてくれたことでした。
詳細はリンク先記事に譲りますが、たとえLGBTの当事者ではなくとも…大きな問題を抱えているor抱えていた人間であればあるほど、この気持ちは痛いほどに理解できるはずです。本当の思いを言い出せないことは非常に強い精神的苦痛に繋がるからです。
そして全てのマイノリティーへの処方箋には、症状は異なれど共通する部分がきっとあります。
だからこそ…あらゆる悩める人に、件の講演会へとご参加いただきたいと考えているのです。
先に少し触れたプライバシーの部分をある程度犠牲にして、当事者みずからがお話してくださる機会は非常に貴重なものです。
社会生活を円滑に営んでいくために、自分の気持ちを偽っている人は決して少なくないでしょう。たとえば、やりたくない仕事でも引き受けざるを得ないシーンがあります。
しかし理想を言えば、それすらもやはり健全な状態ではありません。
我慢をして、自分自身の気持ちを押し殺して受け容れることが美徳とされた時代は、もはや終わらせるべき段階にきています。
健康第一という言葉を本気で唱えるのであれば、人が人として健康であるための最低限の条件に、みずからのアイデンティティーに関わる部分に関して、精神衛生上のストレスがないことを組み込むべきなのです。
LGBT層の割合を記述したことで、実際にそんなに多いんだなという率直な感想を述べてくれた方が周囲に何人もいます。様々な統計がありますが、3〜8%程度いると言われている彼らの存在は決して無視できる割合ではありません。
そうしたデータに照らして考えれば、このブログ読者の中にも何人もいるはずなのです。
なるべくなら、自分自身を偽ることなく暮らしていけるような社会にしていきたいと思いませんか?
その方が結局、より多くの人が幸せになれると俺は信じています。
本日はこんなところで。また明日!