未来拓く、みうらひらくです。
いくつになっても困ったちゃん扱い、みうらひらくです。
子どもの頃から、どこへ行っても目立つ存在であった自覚はある。これは自慢ではなく…主に悪い意味での話だ。要するに俺は”困ったちゃん”であった。手に余る、扱いに困る存在だったのだ。今でもある程度そうなのかもしれないがなッ!
俺が町のプロモーションや観光に関しての仕事をさせてもらっている岡山県鏡野町。ここ鏡野町は素晴らしい町である。困ったちゃんの発言でも、少なくとも一応は聞いてくれるだけの懐の深さがある。
困ったちゃんで思い出したが、〇〇ちゃんと呼ぶだけでセクハラだという考え方もあるらしい。大丈夫?幼稚園など幼児へのセクハラへの温床だと言うのか?
いや、今日はセクハラについてではなかったな。俺は幸せ者であるという話だ。周囲の皆さんの助けを得て、本来難しいであろうことを実現するためのチャンスをいただけた。
次々と縁を繋げていただき、町長や副町長をはじめとした鏡野町のお偉いさん…行政の中枢にいる方々が集う場で、新規事業のプレゼンをさせていただける機会に恵まれたのだ。
これは結構凄いことなのだ。そんな前例などない。ご存知の方も多いだろうが…行政という組織は、とかく前例がないことを嫌う。
しかし考えてみれば当然のことである。失敗する可能性がある以上、自分自身の評価を下げるリスクを取ってまで、敢えて今までと違う攻め方をする必要性はないという判断を間違いだと断ずるのは簡単だ。しかし実際にその立場になれば容易なことでないのは、誰でも想像がつくだろう。
にもかかわらず、町民ですらない俺のような者の意見を拾い上げてくれるとしたら…俺が言い続けている”集合市”を実質的に体現していると言える。集合町じゃ語呂が悪いが、行政外の人を含む多くの人の意見やアイデアを町の行政に反映させていこうというスタンスは尊敬に値する。それは間違いなく今後、地方自治体に必要になってくる姿勢なのだ。
市民や町民の声が直接届く、それこそが地方自治の可能性だ。
鏡野町で仕事させていただいていることを有難く思う。良い結果に持っていけるように全力で働きますぜ!
詳細はまた改めて書こうと思っております。今回の一件は、ブログを書き続けていたことがキッカケになったとも言えるしね。
妄想していたことを実現できるチャンスを無駄にする気はないYO!
本日はこんなところで。また明日!