ルールに抜け穴がある以上はルールじゃない。汚れた勝負の世界。

未来拓く、みうらひらくです。
ボクシング未経験ですがパンチドランカー的な症状には襲われたことがある、みうらひらくです。

飲み過ぎには注意。山中 再戦に水差す“愚行”に涙…体重オーバーでネリ王座剥奪(スポニチ)

格闘技は大きな試合でも後味悪いことが少なくない。それもあってリアルタイムで見ることはほとんどなくなった。上記の試合結果も、すでに報道されている通りである。

山中、ネリに完敗認めつつも苦言「本当に人として失格だなと

大晦日には歌合戦を見る人も多いだろうが、お笑い番組とともに一定の地位を築いているのが格闘技中継だ。

野蛮だと言う人もいるのだろうが…格闘技には原始的な魅力があり、事実として多くの人間を惹きつけるものだ。古代ギリシャで行われていた古代オリンピックの時代から、すでにボクシングやレスリングの類は種目の一つであったことからも明らかである。
だがそれは明確な秩序の下で行われるべきだ。拳闘は読んで字のごとく拳(こぶし)の戦いであって武器の使用が許されるはずもない。それがルールであり、前提である。

そして多くの人がご存知であろうが、ボクシングは体重により階級を分けて戦う種目だ。格闘技の多くはこの制度を採用している。それは体重が重い選手の打撃は軽量級の選手に比べて圧倒的に重く、破壊力があるからだ。

小さな選手が大きな選手と同じ土俵で戦うのは難しい。大相撲のルールでパンチやキックが認められないのは、そうした条件下では圧倒的に体格の大きな選手が有利だからであろう。なるべく同じような条件を整え、戦う。それがルールであり、前提であるはずなのだ。現在のボクシングのルールはその理念に合致しているとは言い難いのではないだろうか。

計量は前日に済ませ、その後メッチャ飲み食いしまくった結果…実際に戦う際には前日より数キロ増えているなんてことも珍しくない。計量が有名無実化したセレモニーになっていて、それが当たり前の現状。

政治や議会などの現場にも、似たような話が幾らでも転がっている。

今回のように計量をオーバーした場合でも試合は開催される。しかもペナルティーとして課される罰は、大した痛みを伴うようなものではないのだ。つまり今回問題となったようなケースは、今までもこれからも幾らでも想定されることである。

人として失格だなと思うような相手だと言うことが前日計量でわかった際、山中選手はどうすべきだったのだろう?彼はまっすぐにぶつかり、そして散った。

それでもやはり…戦うべきだったのだろうか?

事実上、それ以外の選択肢が用意されていない時点で、ボクシング界のルールはクソである。

制度に穴がある以上、それはルールと呼べたものではない。抜け穴があることを放置している運営側はその責務を放棄していると断じて良いだろう。当日計量でイイんじゃないの?

そこまでに仕上げてくるのがプロって気がするんだけど…。

結果が全てのスポーツの世界、そして政治の世界。法律などでも同じことである。

正直者がバカを見るような仕組みを変えていかないと未来はない。

抜け穴を巧みに突いて勝つ連中の手は汚れている。汚れた手で多くの物に触れさせてはならない。

あとは、完全に階級をなくして無差別にしちゃうかだな。

もちろん危険度は格段に上がるけど…中途半端が一番ダメだと思うのよ。

本日はこんなところで。また明日!

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三浦 ひらく

三浦 ひらく -PROFILE-

世界を暮らしやすく楽しく変えるため、相棒ひらくマと一歩ずつでも現状改善していくために日夜ハゲむ、1978年生まれの岡山県津山市議会議員。選択肢の多い社会を目指し、政治も手段の一つと捉え、地域振興、多様性理解促進、生きづらさ解消、表現の自由を守るための活動、インフルエンザ脳症撲滅、臓器移植意思表示推奨などをライフワークとして活動している。

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