未来拓く、みうらひらくです。
あと2ヶ月もすれば40歳の立派な中年、みうらひらくです。
最近、そこら辺にいる子どもにお兄さんと呼ばせるのに抵抗が出てきた。
まぁ当然ちゃ当然だ。
18歳の頃…リハーサルスタジオなどに貼ってあるバンドメンバー募集チラシを見て、俺は仲間にこう言っていた。
「当方25歳完全プロ志向って…オッサンじゃねーか!その歳なら諦めろよな!」
エセミュージシャンとして30歳くらいまで似たようなことをやっていた完全なブーメランについては、今日のところは置いておかせてください…毎回突き刺さって痛いです。
40歳と言えば、不惑。
孔子が晩年に振り返って言ったことば。
『論語・為政』に「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず(私は十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった)」とあるのに基づく。
故事ことわざ辞典より
まだッ!
まだ40前。孔子のような超有名偉人とは異なり、未だに学に志していると胸を張って言えない俺である。
30にして立つと聞いても、下ネタしか思い浮かばないようなゲスである。
だがしかし、40前であっても迷うことはない。
もちろん先のことはわからないが…俺はきっと50になっても、天から与えられた使命を知ることはないだろう。天命などと言うほどの大それたものではなくとも、みずから切り拓いていくのみだからだ。
天命とは、生まれた時から定まっている運命だ。
定まっている何かがあるとしても、自分の意思で変えられることが間違いなくある。
そうでなければ何のために学び、何のために生きるのか。
60歳になった自分など想像もできない。だが40を前にした今、20歳の頃を思い出すよりも60歳の自分について考える方が前向きで生産的な行為だと言えるのだ。
人の言葉に素直に耳を傾ける。
これなら俺は孔子に勝つ自信があるぜ(キリッ)!
いや、勝たなくてはならない。
40前の自分ですが、話はしっかり聞いていきますYO!
本日はこんなところで。また明日!