岡山県民の岡山県民による岡山県民のための協働スタイルを考察。

未来拓く、みうらひらくです。
生まれた時から岡山県民、みうらひらくです。

もっと言えば、生まれた時から津山市民だった。

18歳〜33歳まで東京都民だった以外は岡山県が生活の拠点だ。今の生活拠点は県北部。”県北の雄都”を自任する津山市に住み、お隣の鏡野町で働いている。

どこの都道府県でもある程度似たような事情があるものらしいが、岡山県北部と県南部にはかなりの違いがある。瀬戸内海に面し岡山市・倉敷市という大都市(それぞれ人口約72万人、48万人)を抱える県南部と…山の中で約10万人が暮らす津山市が雄都気取りの県北部では、実際多くの事情が異なってくる。

つまり、県北部と県南部は全く違うのだ。

東京で生活している間にも何かの拍子に出身地の話題になり、岡山県の話をすることはあった。大概最初に言われるのは”桃太郎”の話だった。20年近く前からそうだったわけで、今現在の岡山県や岡山市のプロモーションの方向を見ても、それはやはり正解…なのかもしれない。

これは尻じゃないよ、桃だYO!

多くの岡山県に縁もゆかりもない人間にとって、岡山県は一つだ。

いや、実際に一つな訳だが…言ってしまえば、県北部とか県南部とか知った話ではないということ。

現在の仕事柄もあり、県外に出て当地の観光関係者(ある程度は別の地域の観光情報にも興味や知識を持っていると期待される職種)の方々と話をする機会が多い。あるいは政治などに絡む人たちも同じことだ。

しかしそういった方々ですら、岡山県の捉え方は”OKAYAMA”である。

外国人のそれと、それほど大きな違いがあるとも思えない。岡山大変だったねと言われる際に、県北部の被害は比較的小さく…県南部が酷いのですと伝えてみても「そうなんだ。」「エリアごとの情報は把握できないよね。」と反応されるのは仕方ないことではある。岡山県の中がどういう風に分かれているかとか…どういう地理的・文化的な違いがあるかとか…そんなことは外部の人たちにとっては、ハッキリ言って”どうでも良い”ことなのだ。

そうだろ?

自分自身のことについて思いを巡らせばよくわかる。どれだけ出張が多い職種の人でも、よく知らない都道府県の一つや二つあるだろう。

よく知らないところの事情なんて、わかるわけないじゃん?

その前提を忘れちゃいけないと思うわけです。

災害の少ない県を自認していた岡山県を襲った豪雨災害。もちろん広島県や愛媛県などの被害も甚大だったわけだが、特に倉敷市真備町の被害が実際に非常に厳しいものであることは、もはや日本中に知らない人はほとんどいないレベルだろう。

その真備町の被害ですら、OKAYAMAの被害として全国には認知される。

これだけ情報発信が進化した社会においても、被害が少なかった地域の情報の共有や、当該地域で本当に求められていることの拡散は進まないのが事実なのだ。

こうした問題を解決するための、唯一最大のコストパフォーマンスの良い解決策。

それは地域が一つになること。

個々の取り組みや発信ももちろん大切だが、口先だけの協働や圏域連携ではでなく、本当にやるべきことがあると思うのだ。立場により、やれることは変わるだろうが…きっと今の自分にもできることはあると信じて奔走しているところです。

自治体レベルではなく…県全体でもないレベルの協働が求められているように感じるのは、俺だけではあるまいて。

皆さんはこの記事を読んで、どう思われますか?

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本日はこんなところで。また明日!

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三浦 ひらく

三浦 ひらく -PROFILE-

世界を暮らしやすく楽しく変えるため、相棒ひらくマと一歩ずつでも現状改善していくために日夜ハゲむ、1978年生まれの岡山県津山市議会議員。選択肢の多い社会を目指し、政治も手段の一つと捉え、地域振興、多様性理解促進、生きづらさ解消、表現の自由を守るための活動、インフルエンザ脳症撲滅、臓器移植意思表示推奨などをライフワークとして活動している。

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