未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。
まず最初に告白しておくか。
昨日は一日中出ずっぱりで、帰宅もかなり遅くなりました。緊急事態宣言対象地域拡大を受けての津山市の対応はブログにまとめた通りです。
感染者が日毎に増え、津山市および周辺市町村からは未だに感染者が出ていないとはいえ、国の発表を受けて昨日は津山市もバタバタした落ち着かない1日となりました。政治に携わる人間は当然、その動向を注視しなくてはならない日だったと言えます。
ただ隠さず本当のことを言えば…あまり仕事をしたくない日でした。
昨日、4月17日は2月に亡くなった娘、愛來(あいく・愛称くーちゃん)の誕生日でしたから。
幼稚園でも背が高い方で、4月生まれということもあり…クラスメイトの中でもお姉ちゃん的存在だった愛來。6歳の誕生日を本人がいない中で、こんな形で迎えることになるなんて、妻も私も当然…夢にも思いませんでした。
インフルエンザ脳症という病気でした。
基礎疾患などなく…倒れるその日の朝も調子は良さそうでした。インフルエンザだと診断されてからも飛び跳ねていた彼女を制し、楽しく会話しながらテレビを見ました。昼過ぎまで本当に元気だった娘の体調は夕刻あたりから急激に悪化し救急搬送、翌日に大学病院へとヘリで転院…約1ヶ月の闘病の後に亡くなりました。
昨日は、幼稚園の先生たちがお忙しい中わざわざ寄ってくださいました。おともだち、そのママさん、皆が来てくれて…手紙やお花を届けてくれました。私が仕事をしている津山市議会の議員控室まで、お花とお菓子を届けてくれた方もいました。本当に感謝しています。
くーちゃんも大喜びだったはずです。
もう一つ告白しておくと…もう何回目かわかりませんが…いつも動画を録画しているあの部屋で、一人で泣きました。
正直言って、本当につらいです。
あの子の去年の誕生日は…選挙戦の真っ最中で、あまりしっかりと祝ってあげられませんでした。ほんの1日くらい…選挙のことは全部置いておいて一緒にいて、祝ってあげたら良かったと思うと、涙が止まらなくなりました。
当時、そうしなかったのはもちろん私自身の判断です。
来年は一緒にいてあげられる、そう思っていました。もちろん、そのために選挙に挑んだわけではありません。しかし娘のためにも選挙に勝たなくてはならない…そう思って、誕生日のお祝いを我慢させて、必死で準備していたのは事実なのです。
事務所内でケーキを用意して、ハッピーバースデーを歌ったことを思い出します。
昨日から始めたInstagramに、この写真を掲載しました。Instagramではこれから毎日、彼女の写真を掲載していきます。
未公開秘蔵写真ガンガン出してくで!
やり方全然わからないけど…習うより慣れろですからね。Twitterもやってるうちに面白くなってきたし、まぁ何とかなるだろ世界中の人が使えているわけだし。
くーちゃんが今でも元気だったら。
無意味な仮定ですが…それでも言っておきます。
その場合の私は彼女の誕生日の昨日…実際に昨日とった行動と同じように仕事に行き、新型コロナウイルス感染症に立ち向かうために、市議会議員がすべき仕事に向かい合ったでしょう。
それが彼女の望みだからです。
そういう父親を彼女が自慢に思ってくれたからです。
そんな風に言ってくれた彼女を、私は心の底から尊敬して誇りに思うとともに…まだたった5歳の娘にそんな風に言わせてしまった自分自身に対しては情けなく思う部分を否定できません。
彼女の感じ方、考え方に最も大きな影響を与えたのはやはり妻と私だったと思うからです。
凄い子だった、良い子だった、そう言っていただけることはある意味でも救いになりますし、単純に嬉しい。5歳とは思えないようなことが本当に多過ぎて…亡くなった後にも色々なメッセージが続々と出てきて我が娘ながら”何て子だ!”ってことで麻痺しそうになりますが、それでも。
くーちゃんは、昨日で6歳になる子どもでした。
子どもが親より先に亡くなるという理不尽。
やはり、こんなことはあってはなりません。
当事者だからこそ言えることがあります。
同じような苦しみの中にいる人の救い…心の拠り所になっていけるなら、それも今の私にはとても幸せなことです。それにより少し救われます。
そして同じような悲劇を予防していくことこそ、最大の望みです。
これは政治的切り口からも、また別の角度からもできることで…皆さまにご協力いただけることも沢山あるのです。
少しでも、今より良い世界にする。
それは良いことを増やすことでも実現できますが…悪いことを減らすことでも実現可能なのですから。
新たな企画も思いついたけど…長くなるのでまた動画ででも相談しますね。今日はこれをタイプしているだけでも泣けてきて、動画を撮れる顔ではないのでまた改めます。
本日はこんなところで。また明日!