三浦拓(みうらひらく)です。
三浦愛來(みうらあいく)、5歳と9ヶ月19日でこの世を去った愛娘”くーちゃん”の父親としての、恐らくは最後のブログエントリーです。
これからも当然ずっと、私は彼女の父親です。また何かの機会にくーちゃんのことを書く機会があるかもしれません。しかし葬儀も終わった今、くーちゃんとのことはしばらく公にすることなく、自分自身の中で対話しながら…取り組むべき課題に向き合ってまいります。
くーちゃんがインフルエンザ脳症に倒れてから、1ヶ月が経ちました。当ブログで4回にわたって書いてきたように、くーちゃんは本当に頑張ってくれました。
愛娘を病で失ったことで…私が今後目指す方向や考え方も、少しだけ変わりました。
インフルエンザ脳症を撲滅したい。
インフルエンザ撲滅に成功すれば当然可能ですが、現実にはインフルエンザはもう何十年も…毎年のように流行を繰り返しています。またワクチンには重篤化を防ぐ効果は期待できても、インフルエンザ脳症を防ぐ効果はないのです。
インフルエンザ脳症はワクチンで防げると思っている方、逆にワクチンが脳症を引き起こすと考えている方…様々な考え方を持っている方がおいでのようですが…実際はインフルエンザに罹患した者の中で、どういう患者が脳症になるのかはわかっていないのです。
つまり現在事実上、インフルエンザ脳症の罹患を100%防ぐ手段はありません。
よって罹患が疑われる際には、なるべく早く対応するしかないのです。対症療法をいかに迅速に開始するかが鍵、初期対応の速度を上げていくことで重篤化を防ぐしかないのです。
医療従事者でない私にできることはたった一つです。
この病気の存在と、どういう対応をすべきか…正しい知識と理解を広めていく助けとなることです。
恥ずかしいことに私は、こうなるまでインフルエンザ脳症という病の存在を知りませんでした。
くーちゃんに対して…情けなくて申し訳なくて悔しくて…何とも表現できない気持ちを、ずっと抱えています。この気持ちはこの先、消えることはありません。
娘の命を奪ったのは、インフルエンザ脳症という病気です。
しかし私は、助けられたかもしれない自分自身よりも大切な命を…自分の無知が原因で失ってしまったのです。
くーちゃんと同じように、毎年数名の方がインフルエンザ脳症で亡くなっているそうです。
こんな悲劇が繰り返されているにもかかわらず、この病気についてはほとんど究明されていないのが現状ですし…私のようにインフルエンザ脳症の存在そのものを知らなかったという人も少なくないのではないでしょうか。
犠牲になっている方々の多くは幼い子どもたちです。
子が親よりも先に亡くなる…こんな理不尽は、絶対になくすべきです。
当事者となったからこそ言えることがあります。
これから先、こんなつらい気持ちを抱える人が出てきてはいけません。そのためには医療関係の皆さまの研究や治療技術のさらなる進歩も必要でしょうが、啓発活動として悲しい思いをした当事者が声を上げることにも大きな意味があると思っています。
インフルエンザ脳症を、この病の恐ろしさを知っていただくため…ぜひこのブログエントリーの拡散にご協力お願いいたします。
インターネット経由だけではなく…どうか周囲の人に直接伝えてください。
インフルエンザは怖い、何かあってからでは遅い…40度を超えるような高熱で様子がおかしかったら、素人が自分で判断をせずに救急車を呼ぶべきだと声を大にして言っておきます。
救急車をタクシー代わりに使うような不届き者は許せません。
しかし、命より大切なものなどありません。
大切な人の命を守るために、最善を尽くしてください。
空振りしても良いじゃないですか…脳症ではなかったのなら万歳です。万一、脳症だったのであれば…少しでも早い処置を施すことで、症状が重くなることを防ぐ効果が期待できます。
くーちゃんは特に症状の進行が早い、急性壊死性脳症というケースだったそうです。午前中に病院に行ってインフルエンザだと診断されたものの、昼過ぎまでは元気でした。
今まで大きな疾患など一切なかった元気な子が、夕方には救急車で運ばれ、そのまま亡くなることが実際にあるのです。
世界一の頑張り屋さん、くーちゃんは本当に頑張ってくれました。しかし実際は、搬送された日の夜のうちに命が尽きていてもおかしくない状態だったのです。
こんなに苦しいことはないな…と、何度も思いました。
しかしその苦しみさえも…くーちゃん本人の苦しみを思えば、屁でもありません。
くーちゃんとはよく、2人だけで話をしました。幼稚園への送迎の道すがら…お風呂の中…夜、眠りに就く前…時には2人きりのデートも。
小さな手を握って、知的好奇心の塊のような彼女の質問攻めに答えながら歩く時間は、歩くことが好きな私がしてきたどんな散歩よりも、楽しくて嬉しくて刺激的なひとときでした。
それは幸せ過ぎる時間でした…永遠に続いて欲しかった。それがこんなにも簡単に失われてしまうものだとは、私は全く自覚していなかったのです。
あまりにも甘過ぎました。
くーちゃんは私には本当に出来過ぎた娘でした。とても5歳とは思えない周囲への配慮…エンターテイメント精神、そして優しさ。
あの子は間違いなく、世界一優しい子でした。
通夜と葬儀の場、皆さまの前で2回…喪主として話をさせていただきましたが…あらゆる面で、まだ5歳のくーちゃんは、41歳の父親よりもはるかに人間として上でした。
多くの親にとって、子は世界一可愛い存在でしょう。親バカだと笑っていただいても構いません…ただ、その上でさらに世界一優しい子だと自信を持って言い切れる理由があるのです。
自分よりも人のことを思いやれる、本物の天使でした。
宗教にはあまり関心がない私ですが、くーちゃんは神様だったのではないかと本気で思うのです。
何度あの子に救われたか、どれだけ多くのことを教えてもらったか…わかりません。
あまりにもつらいのが正直なところです。ただ彼女の頑張りの意味を考えたとき…私は下を向いているような場合ではないのです。
くーちゃんは本当に、最後の最後まで世界一優しい子でした。
自分自身が高熱で苦しみ、朦朧とした意識の中で…恐らく脳症の症状が始まっていたであろう段階であったにもかかわらず、私にインフルエンザを移したくないという一心で、私の方を向いてこう言ったのです。
「マスク…。」
くーちゃんの口から私が聞いた最後の言葉です。
「パパ、インフルエンザが移るから寄らないで!」と言って、くーちゃんは私を自分に近づけようとしませんでした。
「マスクをして!」と言う彼女に応えて、マスクをして接していた私ですが…その時はマスクから鼻が出ていたのです…どんな時でも自分のことよりも優先して、人を思いやることができる子でした。
彼女より優しい人間を、私は知りません。
たとえ…くーちゃん本人が許してくれたとしても、私は自分自身を許せません。そんな私がしていくべきことは、これから先も今までとそれほど変わりません。やるべきことはハッキリしています。
くーちゃんは、こんな私のことを尊敬してくれていました。こうなって初めて幼稚園の先生やママたちから聞いた話で、何度涙が出たかわかりません。
「パパのお仕事は、人のためになっているんだよ!だから、くーちゃんもパパを一番応援するんだ!」
そう言ってくれていたくーちゃんのために…今まで以上に、今後も頑張っていきます。
生きていれば何だってできる…何にだってなれる。強いくーちゃんの父親として…私もより強くなり、決してあきらめません。
「くーちゃんも、世界中の人のためになりたい!」
愛來は私の一般質問の動画を見て、そう言っていました。彼女は「パパのお仕事の動画見たい!」と言って、しばしば動画を見てくれていました。
「なれるよ、くーちゃんなら絶対になれる。」
私はそう話しました。
確信を持って言えるのは…あの子が今も世界中の人のためになってくれているということ。
くーちゃんの父親であることは私自身の誇り…アイデンティティーです。私自身もまた、娘に負けないよう精進していきます。
小学生の頃、思い描いていた私自身の目指すべき人生がありました。葬儀を終えた今、生前の娘の言動を思い出すにつれ…くーちゃんは、あの頃の自分自身が思い描いていた理想の人間だったなと感じています。
周囲を笑顔にさせる、周りにパワーと幸せをくれる…よく笑う子でした。
お友達だけじゃなく、大人を持ち上げようとするくらい…力持ちの子でした。
生後10日で歌ったほど(証人は私のみですが)で、オリジナルソングをよく口ずさむ…歌が好きな子でした。
美味しいもの大好きで、大好物は何と言ってもマグロ…よく食べる子でした。
そして何より…人のことを考えられる、自分よりも人のことを思いやれる、世界一優しい子でした。
ご無理を聞き届けていただき…洗礼も受けておらず両親共にキリスト者ではない愛來のため、通夜と葬儀を執り行ってくださった岡山カトリック教会の皆さまには感謝しかありません。素晴らしい式にしてくださいました。
急な話にもかかわらず通夜、葬儀ともに300人近い方々が献花してくださいました。
何十通も届き続けた弔電も、ありがとうございました。もちろん全て目を通させていただきました。ただ申し訳ありませんが、紹介は全て割愛させていただきました。あくまでもくーちゃんとのお別れのための時間でしたので、ご理解いただければ幸いです。
くーちゃんを見送るための式に携わってくださった全ての方々に感謝申し上げます。
参加できずとも心を寄せてくださった方々にも、ありがとうを言わせてください。
幼稚園のお友達や先生をはじめ、生前の彼女を知る皆さま…あるいは元気だった頃のくーちゃんを直接は知らない方も含め、大変な遠方からわざわざ来てくださった方々もおられ、多くの皆さまに見送っていただけて娘も喜んでくれたはずです。
歌が好きで、花が好きだった愛來。
世界一可愛い子であることには変わりはありませんでしたが、入院中の娘の顔は見せたいものではありませんでした。ただ葬儀会場、棺の中で…色とりどりの美しい花々と思い出の品々、そして音楽に囲まれ…くーちゃんは良い顔で眠っていました。
「お花畑でゴロンと横になりたい!」
くーちゃんがよく言っていた夢を今までで最も理想に近い形で叶えてあげられたのが、最も理想からかけ離れたシーンであったことは…あまりにも残念です。
いつも一生懸命だった彼女に…もっといっぱいご褒美をあげたかったし、もっともっと優しくしたかったです。
もっともっと、愛してあげたかった。
本当に頑張ったね、くーちゃん。
ゆっくり休んで良いからね、くーちゃん。
ありがとね、くーちゃん。
長いのか短いのかわからない1ヶ月が終わりました…悪い夢だったら良いのにと、起きるたび彼女を探します。
世界は素晴らしいという言葉を聞きます。その通りだと思いますが同時に…世界には理不尽が沢山ある。
こんな理不尽は撲滅すべきです。
葬儀でもさせていただいたお願いです。
大事な人に…あなたの気持ちを毎日、伝えてあげてください。
愛している人に、愛していると言ってあげてください。
愛おしい人を、抱きしめてあげてください。
大切な人に、優しくしてあげてください。
そうしようと思っても…突然できなくなることがあるのです。
あなたも、大切な誰かも…ずっと元気でいられるとは限りません。
反省すれども後悔せず…私は常々言っていました。
後悔は、本当につらい。
災害や事故同様に病も…いつ誰の身に降りかかってくるかわからない。
愛來という名前は…いっぱい愛してもらえるように、愛を運んでくるような子になってほしくて付けた名でした。
名前の通り、皆さまに愛していただきました。愛をもらいっぱなしにしない子です。今でも愛する皆さまのことを応援しているはず。
それが子どもでも親でも、恋人でも友人でも…あなたにとっての大切な人と、あなた自身が…ずっと幸せでいられますように。
くーちゃんと共に、私も応援し続けます。
くーちゃん…三浦愛來(みうらあいく)を愛してくださった方々、彼女の人生に関わってくださった全ての皆さまに、父親として心からお礼を申し上げます。
ありがとうございました!