未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。
議員の中には標題のようにすぐに「誰が責任を取るんだ!」を連呼する連中が少なくないのは実際のところなのですが…まぁ、そんなことを言っている議員に限って自身はなかなか自分自身で責任を取ることをしないものなんですよね。
いや…別にこれは議員じゃなくても同じか。
さて、別に特定の議員をディスるつもりもなければ…不特定多数の議員という存在を貶すことで今以上にイメージを悪くする意図もないので、話を先に進めます。
当ブログで以前も取り上げたあだ名禁止問題。
アイキャッチ画像が怖いと何人もに言われた記憶があるエントリーですが、今読んでも結構大切なことを書いていますので是非チェックしてください!
あだ名禁止が広がっているという内容の、下記リンク先の記事内で校長先生が述べている「小さいうちから相手を尊重するという素地を育めば、人を攻撃するような行動は取らないはずだ!」という自説の根拠は一体何なんでしょうね?
「あだ名」「呼び捨て」は禁止、小学校で「さん付け」指導が広がる
これ、思い込みじゃないの?
人を攻撃するような行動を取らないことは基本的には善とされることでしょうが…まぁ、それも絶対的な真理ではなくTPOによることは明白で、例えば世界には正当防衛というものも厳然と存在しますし、恐らくはこの校長先生も無抵抗主義を最善と考えているわけではないでしょう。
あくまでも一例ではありますが…こうした「〇〇すれば△△になるはずだ!」的な、一見あるいは一聴、一読する限りでは正しいこと、良いことのように思われるような説であっても、それがすべての子どもたちに当てはまるとは限らない(むしろ何事にも例外は存在すると考えるべき)わけですし、文部科学省でも指導していないわけです。
エビデンスがないのです。
校長あるいは他の誰か、現場の先生の思い込みによって、子どもたちの自由や権利が侵害されるような行為が教育の名の下に行われているとしたら…?
最初の一歩を思い込みや思い付きからスタートさせることを完全否定はしませんけど…検証や責任を放棄することは許されません。
津山市ではこういった指導がなされていないか否か…そのあたりも6月議会では触れていきます。
「あだ名にはプラスとマイナスの両面がある。相手をどう呼ぶかは、相手がどう受け止めるのかに尽きる」と上に紹介した記事内でも担当者の言が引かれていましたが…本当にそれに尽きるでしょ。
想像力を養いましょう!
本日はこんなところで。また明日!