郷土出身の大スター、押阪忍さんを偲ぶ会に参加。津山愛溢れるお別れの場では、あの映画もご紹介いただく。

未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。

昨日から東京に来ていた理由は、郷土の大先輩を偲ぶ会に参加させていただくためでした。

押阪忍さん。

今年の6月29日に89歳で亡くなられた津山市出身のスーパースターの一人。民放テレビ局出身の初のフリーアナウンサーであり、司会者としてなどもテレビに限らず様々な場面で活躍されたことは、私よりも上の年齢の皆さまならよくご存知かと思いますが…実は個人的にもお世話になったことがあったのです。そうしたご縁があって、今回はクローズドの会葬式に、わざわざ息子さんから直接にご連絡いただき、馳せ参じたという次第でした。

津山市のこと、とても大切に思ってくださっていたのだと感じました。

業界関係者など…多くの方々で埋め尽くされ、ご家族への挨拶は何時間待てば可能になるのだろうかと思われたほどの行列ができていた会場内では、津山城築城400年記念の際に制作された、よみがえる津山城のナレーションが繰り返しずっと流れていて…皆さまとの最後の別れの場に津山に関わる作品を流してくださっていたことに感銘を受けました。

多数の友人・知人を含めた津山市の皆さまや市長、同僚議員などとともに自身も出演させていただき、名目上、何とプロデューサーとしても関わらせていただくことになった地域映画津山遥かなり 文太の花道が…残念ながら結果として押阪忍さんの最後の仕事となってしまったこともあり、会場の中で、特別に大きく展示してくださっていました。数々の素晴らしいお仕事の足跡とともに、津山の名前を冠した映画作品…しかも私が携わらせていただいた企画を、非常に多くの皆さまが訪れる場で、このように紹介いただいていたことに感謝です。

津山市としても文化功労者の一人であることは言うまでもなく、以前は観光大使などを務めていただいていた経緯もあります。本作はもちろんのこと、先に触れた築城400年の際の企画以外にも、かつて様々な面でお世話になってきたご縁などもあって、私以上に濃いお付き合いをなさってこられた、これまた私自身としては大先輩である津山市の職員、現在は議会事務局でお世話になっている玉置晃隆局長とともに、供花もさせていただきました。

テレビが今とは比べ物にならないレベルで生活、娯楽、報道メディアの中心であった時代…むしろその初期に近い時代から、アナウンサーの代表選手として日本中にその名を轟かしてこられた押阪忍さん。自分など、その偉大なる仕事の最後にほんの少しだけ関わらせていただいたに過ぎませんが…老いてなお、その圧倒的なまでの仕事へのこだわり、プロ意識、そして周囲への気配りなども含めて、実際にご一緒させていただいたのは極めて短い時間でしたが、大切なことを学ばせていただいたと思っています。

忘れられない光栄な時間を有難うございました…どうか、ゆっくりとおやすみください。

一輪の花を献花させていただいたのち、手を合わせながら、渋谷のスタジオでご一緒させていただいた際の、ナレーション収録の日のやり取りなどを思い出しながら、そうお伝えさせていただきました。

本日はこんなところで。また明日!

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三浦 ひらく

三浦 ひらく -PROFILE-

世界を暮らしやすく楽しく変えるため、相棒ひらくマと一歩ずつでも現状改善していくために日夜ハゲむ、1978年生まれの岡山県津山市議会議員。選択肢の多い社会を目指し、政治も手段の一つと捉え、地域振興、多様性理解促進、生きづらさ解消、表現の自由を守るための活動、インフルエンザ脳症撲滅、臓器移植意思表示推奨などをライフワークとして活動している。

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