参院選総括。投票率上昇は素晴らしかったが分断が煽られた選挙戦を経て…目指すべきは対話を忘れない政治!

未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。

2025年7月20日、20時…第27回参議院議員選挙の投票箱が閉じられました。まずは、私が激推ししていた山田太郎さんがゼロ打ち(報道機関が開票開始直後に出口調査や情勢調査の結果等に基づいて、ある候補者の当選が確実だと速報すること)当選したことを嬉しく、有難く思っていますが…色々と感じるところがある選挙でした。

良い意味でも悪い意味でも、今までにない選挙だったと言えるのではないでしょうか。

昨今の選挙ポスターの問題など、選挙制度そのものが時代遅れで壊れかけていること、そして法律が空転しているなと感じたことは、備忘録としても明記しておきたいところ。昨年の東京都知事選で一気に注目を浴びたポスターの”品位”に関する問題は深刻で…風俗店広告や動物ポスターまでが大量に貼られたことを受け、公職選挙法改正が急ピッチで進められ「品位保持」が明文化されたことをご存知の方もおられるでしょう。

しかし今回の参院選でも、他候補者のプライバシー暴露的記載に名誉毀損の刑事告訴が起こるようなケースが発生したにもかかわらず、当局は静観するのみでした。報道等でもまとめられていますが…制度改正の狙いは水泡に帰し、”品位ある選挙”の約束は現場で形骸化してしまっているのが現状です。

私は長年、”表現の自由を守る活動”に力を入れてきています。

表現の自由とは、法と社会によって守られるべきものです。そして端的に言えば…どんな言論、言説も、あなた自身が嫌悪する表現も含めて、その内容を発露する自由は守られるものだと考えているということです。

ただし、表現への責任は負わねばなりません。

明確な虚偽や悪意が含まれている場合は当然ながら、錯誤や不注意、無知によるものだったとしても、自分自身が行った表現が誰かの自由や権利、あるいは尊厳などを侵害した場合には相応のペナルティーが課されることや、社会的制裁を受けることがあるのだということを踏まえた上で、表現せねばなりません。

特に公人たる者、その覚悟が求められるでしょう。

常々言ってきていることであり、立場は変わりません。私たちには”表現の装いを纏った暴力”が行使されるようなことは、本来は許されてはなりませんし、ましてやそれが公共の場であってはならないことです。相対的な評価を考えてもらう必要はあるでしょうから、他者との比較はあって当然だとも考えますが…明確な攻撃や排除を正当化する言葉が、多くの候補者の口から語られる選挙戦を目の当たりにして、気持ち良くは感じませんでした。自分自身も、議員にならせていただく前には狙ってそういった戦い方をしてきた経緯もあるし…今現在でも通常の活動の中でもありますが…見直しの必要を強く覚えたところです。

イヤな選挙だったなってこと。

ただ同時に、見逃してはならない事実があります。

投票率が上がっている、つまり皆の関心が集まった選挙だったということ。

期日前投票者数は衆議院議員選挙を含めても過去最多(全有権者の25.12%)だったことや、投票率が6割近くに達し、前回2022年の52.05%を相当上回る結果になる見込みであること、全ての都道府県で前回を超える投票率となったことなどが様々なメディアで報じられています。

関心が高いこと…投票率が高いことは、良いことだと言い切ってしまって良いハズです。

高ければ高いほどより正確に、民意を反映していると考えられるからです。そして何よりも重要なことは、どんな結果であれ…選挙の結果を否定することは民主主義の否定であり、それが正しいプロセスを経て行われたものである限り、社会人として望ましい姿であるとは言えないということです。

新興勢力の躍進も顕著で、既存政治…特に今までの自民党政治へのNOを象徴する結果となったと思います。

これらは、少なくとも投票に出かけた住民の多くの「何かを変えたい」という強い意思表示に他なりません。野党第一党にはとどまれたものの…立憲民主党にとっても、あるいは公明党や共産党という歴史ある党にとっても、厳しい結果であったことは明らかだと言えるでしょう。

特に象徴的・印象的だったのは参政党の主義主張ですが…それ以外にも今回は、冒頭でも触れた選挙ポスター等では、”日本人かどうか””障がいがあるかないか”などで区別し、”自分たち””それ以外”とを明確に分ける…言わば、分断を煽る言説が氾濫しまていたように思います。

こうした分断の構図は明らかに「対話」を拒み、「敵」を創り出すものです。

上で触れたように、表現の自由の観点からそうした主義主張も自由ではあるわけですが…分断の土壌が温存される結果となった印象を受ける結果が、どのような国の舵取りに繋がっていくのかを、私たちはしっかりと受け止めて注視し続けていかねばなりません。

対話=許容ではないのです。

どんな言論も認める…それが表現の自由の出発点であることは書いた通りですが、だからと言って、他者の人権や尊厳を踏みにじる言説を許すわけにはいかないのは当然のことです。「表現の自由」とは、弱い立場の人が声を上げられる機会を守るための精神でもあるわけですから。

誰かを悪者にしても現実は1ミリも変わらぬ!敵を作って安心してる暇があるなら前向きに対話しようって話。

2025-07-13

私たちが抱える怒りや不満は、何に向けられるべきでしょうか?

日々の活動の中で、未来への絶望や、自分が置き去りにされてしまうという感覚を持っている方々は、とても多いように感じています。何しろそれは、私自身の中にも間違いなく存在することですから。誤解ないように書いておかねばならないと思いますが…突き詰めていけば、表現の自由を守るということは、私自身がイヤな選挙だったなと感じるような議論なども含め、自由闊達な言論空間を守ることです。それが一線を越えているかどうかの判断は、詰まるところ現在の制度上は司法が行うことで、誰もが自由な意見表明をすることができる機会を保障することは、社会全体にとって、やはり極めて重要なことだと…私は思っているのです。

対話とは、相手の声を聞き、問い直すことから始めるべし。

そんな風に思います。なぜそう思って、なぜそのように表現したのかを一人ひとりに問いかけてこそ、政治は本来的な意味を取り戻せるのではないでしょうか。

選挙とは、一人ひとりの「何かを変えたい!」あるいは「何かを守りたい!」という意思表示です。

世界、社会をより良くするための最適解として、世界中で実施されているそのプロセスで明らかになった皆の声が、分断されてしまっては本末転倒ではないでしょうか。

だからこそ私は、政治に向き合う者として…対話をあきらめません。

表現の自由を守りつつも、他者を傷つけるような言説には断固たる姿勢で臨み、その声がどこから来たのかを問い続ける…そうした姿勢を、これからも貫いていこうと思っています。

正直言えば…結構面倒だけどねッ!

それでも、政治において本当に目指すべき世界は、面倒ごとの先にしかないと思うのです。

自分自身の思いを少しは妥協することも含めて皆と調和していかねば、真の平和など訪れるはずがないのです。人ぞれぞれに、一人ひとり異なる価値観を持った人間が、それぞれの考え方・感じ方をベースに生活していて…中には利害関係が対立するような関係性の間柄である人たちもいる社会を、できる限り円滑に動かしていくための調整が、そんなに簡単なはずはありません。

政治の役割の本質は、すべての人の命と尊厳を等しく守ること。

現在は、その価値を上辺だけのお題目とせず、内実として受け止められるかどうかが問われているのではないでしょうか。

今回の期日前投票や投票率の向上、新勢力の躍進は、「変革への市民の意思」を示す意義深い現象でした。

山田太郎さん以外にも応援していた候補は当然おられました。当落は未だわからない人も多く、相変わらず悲喜交々になりそうで、選挙の厳しさを痛感しています。

ただ、選挙は結果が全てです。

不正や不作為で正しく行われなかった場合を除き…自分が望む結果になかったからと言って、結果を否定しても始まらない…それは全く生産的ではないということです。本気で取り組み、向き合った当事者であれば、そんな冒涜はできないでしょう。

住民の意思を、分断ではなく真摯な対話へとつなげることができるか…政治に最前線で携わる私たちに突きつけられていると感じています。

これからも、一人ひとりの声を伺い、思いを受け止め、共に考え、できる限り共に歩むことを積み重ねていきます。それこそ民主主義が、つまり私たちの社会が、本当に豊かになるための…遠回りに見えても結局は一つしかない道のように思われるからです。

やっぱり、近道したくもなるけどね!

参院選、あなたのご感想等も是非お寄せください。

本日はこんなところで。また明日!

三浦 ひらく

三浦 ひらく -PROFILE-

世界を暮らしやすく楽しく変えるため、相棒ひらくマと一歩ずつでも現状改善していくために日夜ハゲむ、1978年生まれの岡山県津山市議会議員。選択肢の多い社会を目指し、政治も手段の一つと捉え、地域振興、多様性理解促進、生きづらさ解消、表現の自由を守るための活動、インフルエンザ脳症撲滅、臓器移植意思表示推奨などをライフワークとして活動している。