未来拓く、みうらひらくです。
選択肢を増やすこと。
それには、どういった分野においても基本的に賛成です。
ライフスタイルの多様化が進み、昔ながらの伝統的価値観に重きを置く人がいれば…新しい技術や考え方を積極的に取り入れることを是とする人もいます。
世代や性別、その他による違いが明確に細分化されてきた現代。
少なくとも日本国内では多かれ少なかれ、誰しも多くの新しいテクノロジーの恩恵に浴している部分はあるわけで、否定してみても始まらないのが現状です。
また言うまでもなく、この時代の礎を築いてくれた先人たちへの感謝は忘れるべきではありません。
全ての人にとっての理想郷のような社会の実現は、個々人の思い描く理想が異なっている以上…現実的には実現不可能だと言えます。
それであるならば、社会全体の幸福量(というものが”ある”として)の総量が大きくなる方向性に持っていくことが、満足度の高い素晴らしい社会への近道ということにならないでしょうか。
当ブログでは毎度おなじみ、音喜多駿東京都議の昨日のブログエントリー。
理想を追い求めたい人は革命家になり、現実を変えたい人が政治家になる
内容はタイトルが雄弁に語ってくれています。
効率的な成果だけを求めてドラスティックに改革を進めようとすれば、革命という方向性が選択肢として話に出ることは(もちろん冗談としてですが)政治や行政に絡む世界では少なくないとか…??
それは強制力をもって自分の意思を反映させることが、理想の実現という”結果にコミットする”ためには最も手っ取り早く、かつ効果的だからに他なりません。
しかし音喜多都議も書いておられるように歴史上、革命とは暴力を伴うものが大半です。
また国の風土…いわゆるお国柄としても、日本という国家においては”革命”はどこか遠い国のお話、言わば対岸の火事であって、現実のものとして感じられない人がほとんどではないでしょうか。
何より、自分の意思…革命戦士の意思のみを絶対的な正義と信じて突き進むことは、考えと視野を狭くすることに繋がります。
その結果が独裁やファシズムといった方向に進みがちであることは、歴史が証明しています。
理想を描くことは決して無駄だとは思いませんし、その実現に向けて努力しなくては何も始まりません。
しかし…こと政治において独善的であることは、恐らく致命傷だと言えるでしょう。
国民、都道府県民、市区町村民…あらゆる首長、議員の方々がそれぞれの守備範囲に合わせた声の上げ方で、民意に寄り添うと述べておられます。
ですが、実際には多様化し過ぎた民意の全てに寄り添うことなどできるはずもありません。
それはどんな革命も決して全ての人を幸せにすることができないのと同じ理由です。
生きる目的すら、人それぞれで異なるのが現実。
その上に思想信条や信教なども絡み、複雑に入り組んだ利害関係の対立が問題解決をいっそう難しいものへと変貌させるのです。
そこで現実的に政治に求められること。
それが社会全体の幸福量の最大化です。
そのためにこそ…多様化したニーズに応えるために、より多くの選択肢が必要になってくるというわけなのです!!
笑っているだけで素晴らしい世界になるのなら、革命は決して起こりません。
いつでも笑っていられるような世界にするためには、不断の努力が必要なのです。
そして、より多くの選択肢を設けるためには…より多くの人の声が必要です。
イエスマンばかり求めていては、個人にも集団にも未来などないも同じ。
選択肢を増やすということは、時に痛みを伴うことであるという”事実”も…私たちは知っておくべきです。
それでは本日はこのあたりで。
また明日!!