未来拓く、みうらひらくです。
私、子どもの頃からテレビをあまり観ません。
別にテレビ観てたらアホになるとか、情報操作されるとか思い込んでいたわけではありませんYO!!
もちろん本ばかり読んでいたわけでもなく、ただ別のもっとアクティブな遊びの方が好きだったってこと。
それがナンp
流行りのドラマやら何やらをほとんど見ていなかったため、子供の頃は友人との会話に対応するのに苦労したものです。
今にして思えば…”想像力”と”話を合わせるテクニック”は磨かれたけど。
情報を得る手段として、今もなおテレビは多くの人にとって非常に重要なツールです。
しかし、どんなツールであれ…情報内容をどう解釈するかは自分次第!!
上手に使い、上手に付き合っていきたいものです。
そういえば子供の頃、テレビを見過ぎると目が悪くなると言われたものですが…アレ嘘かもしれないようですぜ。
ファミコンやり過ぎたら目が悪くなるって言われたけど…そっちの根拠も薄いようだ。
固定観念恐るべし!!
まぁそんなテレビですが…地デジ移行のドタバタ劇に絡んで、本体価格も随分と上げ下げがありましたね。
ウチで活躍してくれているマシンは結構高値でつかんでしまった気がするけど…電化製品なんて買った傍から古くなっていく宿命ですから、深くは考えていません。
考えない方が良いだろう。
さて、やっと本題。
テレビにしても新聞にしても…いわゆるマスメディアがニュースの柱であった時代は終わりを告げ、若い世代がニュースに触れる環境は急激に変化してきています。
インターネットの普及がその直接の引き金となっているわけですが…マスメディア側にも原因の一端があることは明らか。
少なくとも私の幼少期はテレビや新聞で報道されていること≒”真実”であり、それを疑う人は極めて少数であったと記憶しています。
今でもなお、一部の人々にとってはそう感じさせるだけの影響力を持つメディアであることは確かです。
その状況にあぐらをかき、新陳代謝を拒み、臭いものに蓋をし続けてきた結果…スポンサーに依存するあまり偏向報道が常態化したり、誤りを認めない体質へと繋がってきたことは間違いありません。
時代が時代なら表に出ることがなかったであろう、自らの信用を失墜させるような不祥事。
そうした類の情報も、内部の膿を出そうという動きに始まり、ニュースとして私たちのところに届く時代です(氷山の一角でしょうが)。
情報発信する側も、あるべき姿を変える必要が出てきていると感じるのです。
ジャーナリズム本来のあるべき姿と…生活のため、食いぶちを稼ぐための手段としての報道各社のスタンス。
そこには重なる部分があったとしても、決して一つになることはない決定的な相違があります。
現実として…数は正義であり、力であるという一面を民主主義は持っています。
それは”事実”には違いない。
ただ以前も書いたように、すべての権力は絶対に腐敗します。
情報を発信するだけでなく、情報を受け容れる柔軟性も兼ね備え…しかも格段に自由度が高いインターネットを利用した新しいコミュニケーションのスタイル。
そこには、当然新しいリスクも生まれますが、十分それに見合うだけの価値がある可能性をもたらしてくれると考えています。
権力…大きな力の腐敗を防ぐためには、チェックが必要です!!
小さな力でさえ、チェックしないと暴走するのですから…そう、このちっぽけなブログでさえね。
今日も暴走した感がアリアリですが…時間もないので、また明日!!