未来拓く、みうらひらくです。
日本国憲法には法の下の平等が謳われています。
第14条。
”すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。”って条文は、学校で習ったことを何となく覚えている人も多いはず。
憲法はじめ、法解釈に関しては専門家の中でも意見が分かれることもしばしば。
よって素人があーだこーだ言っても、ぶっちゃけあんま意味がないだろう。
だがしかし。
誤解を恐れず断じれば、大多数の人間は素人。
素人を勝手に代表して断言しよう…この条文は幻想、理想に過ぎない。
でもさ…素人がどう感じるかは、ものすごく大切でしょ?
だって、本当はそれが多数派(マジョリティー)の意見かもしれないし。
人々の幸せのために存在している”はず”の法。
素人の意見は、どうでも良いことじゃない”はず”だよね。
だから法律の専門家や政治家は、そうした問題を素人にわかりやすく噛み砕いて説明することも重要な責務だと思う。
上から目線じゃなくね。
さて、昨日書いた内容に関して…複数の方から、ちょっと意味わかりません的なリアクションをいただきました。
つまり、わかりやすく説明できていないってこと。
うむ…自分で読み返しても小難しい。
まるで政治家みたいな文章。
スミマセン!!
とりあえず今日は昨日の内容をもう少し噛み砕くか。
少数派(マイノリティー)にも、2種類あるってことを書きました。
みずからの意思でどうにもならない類のものと、みずから選んだ結果のもの。
友人の表現を借りて、それぞれを運命的マイノリティーと、自発的マイノリティーと表現します。
運命的マイノリティーは憲法の条文から引用するなら、人種や性別、門地などの差別により発生します。
ただ、少数派ではなくても被差別者であることも有り得ますな。
いずれにせよ…これは簡単には変えようもない類のものだと言えます。
先日少し触れたLGBTなどの心と体の問題や…先天性・後天性にかかわらず、持つこととなった病や障がいなどもその類だと考えます。
あるいは天災などにより、様々な意味でのマイノリティーになってしまうことも考えられます。
こうした現実が、いかに多くの悲しい過去を積み重ねてきたかは…皆さんご承知の通り。
この種の問題に苦しむ少数派の権利を守っていくことは、政治の最も大切な役割の一つだと思うってことです。
みずからの意思でマイノリティーになること…つまり自発的マイノリティーとの決定的な違い。
それは、みずからが多数派になろうと努力してもなれないという…どうしようもなく厳しい現実です。
自分一人の力では問題解決を図ることが極めて難しい状態。
それこそが、私の言うところの運命的マイノリティーだと言えるかな。
おや…??
してみると、その状態に至った経緯は別にそれほど問題ではない気もしてきたけど…。
まぁ、その辺りは明日に譲るとして。
そうした状態に置かれることは、多数派(マジョリティー)の側にいる人には決して完全には理解できない苦しみを内包しているのです。
そうした状態を解決あるいは緩和するための、最も大きな力として期待されるものが政治であると思い至ったところから…この道を志しました。
政治や行政機関に、セーフティーネットの役割が期待されるのは当然です。
じゃなけりゃ、そもそも仕組み自体が必要ナイとも言えるから。
様々な形で、多くの”差別”が生活の中に溶け込んでいることは…実は意外に気付きにくい。
あまりにも当たり前だと感じていたりするからね。
自発的マイノリティーについては、次回だなコリャ。
とりあえず本日はこんなところで。
また明日!!