未来拓く、みうらひらくです。
マイノリティー、つまり少数派。
対義語はマジョリティー…多数派ってこと。
少数派の意見は、無視されがちです。
選挙なんて少数派の意見を合法的に無視するために、多数派が仕掛けたお祭りである…なんてアイロニーすらある。
でも実際そういう側面はあるかもね。
少なくとも選挙という手段を受け容れるのであれば、結果を甘受しなくてはなりません。
じゃなきゃ、やる意味ないしな。
ただ、政治には受け皿が必要だと思っています。
要するに選挙で勝てない少数意見の中にも…拾い上げられるべき声が”絶対に”存在するということ。
それが何であるかは、それぞれの立ち位置によって変わるでしょうね。
イデオロギーや信教の違いなどによっては…ある人にとっては必要であっても、ある人にとっては全く必要でないこともあるはずです。
価値観の多様化が進み…ライフスタイルや主義主張に関してでさえも、日に日に流行が生まれては廃れていくような現代。
自分にとって大切なものが、隣人にとってもそうであるか否かはわかりません。
ただ私には、確実に言えると信じていることが一つあります。
それは、みずから進んでその道を選んだ結果としてのマイノリティーと…みずからの意思に関係なく、マイノリティーであることを運命付けられたケースとは、明確に区別するべきであるということ。
当たり前に感じる人も多いかもしれません。
でもコレ…残念ながら、できているとは言い難いですよ。
私が信じる政治の最も大切な使命の一つは、後者のマイノリティーの権利を守ることです。
前者のマイノリティーに関しては、問題解決の糸口は政治ではなく、明らかに教育が最も重要なファクターであると考えます。
おっと…ファクターってのは要因とか、そんな意味だ。
毎度のカッコ付け横文字…でも、少しはためになるでしょ??
教育はあらゆる問題の礎ですが…後者のマイノリティーの権利を守るということに関しては、政治の力が必要不可欠であると言えます。
なぜなら知恵を絞って考えたり、想像力を働かせてみたところで…当事者でない者は、問題の本質を完全に理解することはできません。
先天的、後天的いずれにせよ…みずからの意思によることなくマイノリティーであることを受け容れざるを得ない状態に置かれるという状態。
その痛みは、マジョリティー側の人には、100%理解することは決してできないと思うのです。
だからこそ…その種のマイノリティー救済に関しては、思いやりや配慮といった感情や言葉による救済だけではなく、実効性の高い施策が求められると感じます。
それを実行できる最も大きな力が、政治だというわけです。
もちろん、政治以外にも選択肢はいっぱいあるけど…最も期待されるところは、やっぱり政治だと思う。
少々小難しい表現が続きましたが…明日以降、具体例などを取り上げながらもう少し掘り下げていきます。
本日はこんなところで。
また明日!!