未来拓く、みうらひらくです。
先日、東京大学が女子学生にのみ家賃を補助するという制度の導入を発表しました。
もちろん女性であれば無条件でOKというわけではなく、一定の条件はあります。
この制度を巡っては賛否両論…逆差別ではという声も上がっています。
当然、東大側もこうなるのは承知の上で踏み切った話でしょう。
男女平等が叫ばれて久しい…というか、男女に限らず世の中では”平等”というキーワードが切り札的に使われがちですが、それって本当に良いことなの??
もちろん、シーンによって必要な場合はあると思う。
たとえば子どもが喧嘩している際とか…そういう時に、平等という概念があってだな…と教えるのは有効じゃないかな。
でもさ、現実社会に出て「平等じゃないんだもん!!」って駄駄こねてる大人は、ただの痛い人じゃない??
人類の歴史上ただの一度も、差別が存在しなかった国家などありますまい。
別に国家じゃなくても、もっと小さな集団内でも差別はあったはず。
今の時代でもでも同じことです。
声高に差別が存在すると言うからといって、積極的に肯定しようというわけじゃない。
ただ、なくそうという発想自体に無理があるんじゃないかって話。
自分の周囲にも…何なのソレってレベルの差別発言を平気でする人間はいる。
ただ、考え方や発言は個人の自由。
以前も書いたように、そもそも男女間の差別なんて子どもの頃から刷り込まれてきているのです。
男女差別するなと言う人は、子どもに着せる服を選ぶ時に「男の子だからコレ」「女の子だからスカート」とかって先入観ナシで選んでる??
そこには性差による単純な機能性の問題だけではない、もっと深い部分に染み込んだ”こうあるべき”という思い込みが影響しているのではないでしょうか。
俺だってそうだもん。
恥ずかしながら…ナンダカンダ言いつつも既成概念や固定観念に縛られちゃってるなぁ〜って感じることは少なくありません。
そしてもちろん、古いものがすべてダメだって話ではないしね。
新しければ良いって話でもない。
ただ…思考停止して批判を受け容れず、疑問も持たず、新しいことを拒否し、自分が触れてきたものだけを信じる…それでは先はないと思う。
時代に置いていかれるだけ。
それはつまり、皆に置いていかれるということです。
それでも良いんだという人たちがいることは全然構わない。
だってそれも自由だし。
ただ現実問題、国際競争力の向上は国是であり(要するにこの時点でもう平等なんて幻想なのですが…)、そのために日本を代表する最高学府がこうしたドラスティックな手段を選択せざるをえないほどに、日本における女性の社会進出は遅れているということ。
田舎なんて特にそう。
だからこそ、東大は地方から優秀な女性を集めるために、こうした策に出たのでしょう。
平等に絡む問題は、非常に大切なこと。
もう少し掘り下げてみます。
それでは本日はこんなところで。
また明日!!