未来拓く、みうらひらくです。
ここ何年か実家の墓参りに行っていない、みうらひらくです。
標題の問いについて…最初に俺自身の考える回答を書こう。
ご先祖さまがいないと、自分自身も存在しないからだ。
両親、祖父母、曽祖父母…そういう人たちがいなければ、誰もがこの世に存在しない。これは真理である。
感謝せざるを得ないでしょ?
それでも冒頭に書いたように、墓参りに行っていない俺だ。そこにいわゆる罪悪感は正直ないが…申し訳ないという気持ちは常に持っている。
忙しい…という言い訳は何にでも使える。だが、それは自分の責任だ。そして、どんな言い訳を付けてみたところで明らかに自分の判断で後回しにいていることは事実なのだ。
これをあえてお盆に書くのも何だが、この時期にしか書けないことだろう。
たとえご先祖さまであっても、生きている人の方が亡くなった人より優先されるべきだと考えている。
よく言われることの一つに、誰かと接する際にはその人の立場に成り代わって接するようにしなさい…その人の気持ちを推し量って行動するようにしなさい…といった戒めがある。
誰もが一度は言われたことがあるだろう。
それが行き過ぎると”忖度”などが生まれるわけだが、それはまた別の話。
俺はこの戒めが好きだ。
お盆の話をしている時点でキリスト教徒でもないわけだが…聖書の一節として有名な”黄金律”については当ブログでも取り上げたことがある。
人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。
この一節は高校時代に学校の机に書き記していたほどに大切にしていたフレーズであり、今でも大事なことだと考えている。
だがしかし!
人の望みは千差万別、感じ方も考え方も人それぞれで、自分の望みが人の望みだとは限らないのが現実。
それでも俺は、俺のご先祖さまは俺のことを理解してくれると信じる。
あらゆる期待をブチ壊してきたにもかかわらず両親が見捨てないでいてくれること、1人だけ健在なGさんが今でも孫として40のオヤジを可愛がってくれること…今は亡き祖父母や曽祖母に遊んでもらった記憶などを辿り、やっぱり有難く思うのである。
俺は俺の子孫が墓参りに来なかったからと言ってブチ切れたりはしないだろう。
彼ら自身が幸せに生きていってくれることが一番である。
でも、やっぱり少し…たまには思い出して欲しいかなと今日改めて思った。生きている皆を大切にすることは当たり前だけど、ご先祖さまにも感謝を伝えないとな。
それがお盆じゃなくても良いとは思う。それぞれの事情がある。
だけど墓参りに行かねばと強く思った40歳の8月14日であります!
仕事してきます!
本日はこんなところで。また明日!