デブにデブと言うべきではない理由…怠慢な豚の誕生を防ぐ方法。

未来拓く、みうらひらくです。
ほとんど全ての結果は自己責任でしょ…と考えてしまう、みうらひらくです。

 

 

何事にも例外はある。

しかし、例外という甘美な誘惑は自己管理においては非常に恐ろしい言葉です。一度その存在を認めてしまったら、次々に新しい例外を認めることに繋がるのだ。

小学生になるかならないかくらいの頃か。何かの本でアメリカではデブと喫煙者は出世しないという知識を得た。一応、それは最近でも言われ続けている話。家族や周囲の大人たちの体型を見て、こりゃ日本でも概ね同じなのだろうと感じたものです。

 

子どもの無邪気さは特に残酷ですらある。

太り気味だった父親の体型を直接指摘したのだ。

今なら想像できるが…逆の立場だったなら人生の厳しさを教えてやるところだ。

しかし父の反応は意外なものだった…そこには自己防衛的意図もあったのかもしれないが。

 

 

太っている人の外見は、君には麗しいとは感じられないかもしれない。それでも、デブに向かって軽々しくデブと言うべきではないのだ。

自己管理ではどうにもならない理由で、そうした状況にある人たちもいるのだ。

想像力を磨き、他人の事情を考えられるようになりなさい。

 

 

こうして私は体型や見た目で人を判断することのリスクを教えてもらった。

残念ながら、その後まっすぐ育ったとは言えない私。今ならきっとこう言う。

問題をすり替えやがって!

しかしそこは子ども、素直に反省した。

例えばこうした報道を目にすると、大人になった今でも言葉が軽く思われて何も言えないのです。

 

 

人にはそれぞれの事情がある。

事実…家族や友人、恋人といえども知らないこともあるだろう。今以上に小さな世界しか知らなかった子どもの頃。お調子者のガキ大将的一面も確かにありましたが…多くの子どもたちが恐らく同様であるように、それでも自分一人の世界観を持っていました。ひょっとするとその頃の考え方は、今の私にも影響し続けているのかもしれません。

 

 

デブ=悪ではない。

デブ好きな人だっている。デブ専なんて言葉すら知らなかった頃から、その存在は認知していたし…多様性だのダイバーシティだの聞いたこともない時代から、色んな人間がいることは理解していました。

それでもその上で、太ってはいけないという軽めの強迫観念のような意識は私自身、常にある程度持っていた。

それはなぜか?

自分自身の事情は自分が一番わかっている。

私が太るとしたら、それは自己管理が甘いからに他ならないからです。

 

 

自分を騙し続けるのは不可能に近い。

代謝が良いのか、昔は体重落とすのも楽でした。多少太ってもすぐに痩せていた。しかし代謝は落ちる。年齢とともに太りやすくなるのは悲しい事実だと、あのタニタさんも言っています。

 

 

当ブログでも昨夏、ダイエットについての報告を行いました。その後、普通に目標値をクリアし…順調にリバウンド。しかしまた持ち直し、正月という毎年確実に太る時期を何とか経て、いつの間にか面倒で体重計に乗るのをやめていた。

 

 

約3ヶ月ぶりに測定した結果、人生最大のデブ期に突入していたことが判明!

そういえばベルト切れてたわ。ただの寿命かと思っていたが。

 

 

来月、誕生日なんす。

プレゼントを用意する時間はたっぷりあるYO!

しかしこれは私にとっては自分自身との戦いの時間でもある。

 

 

やはり、人は堕落していくのです。

少なくとも俺はそうなのだ(キリッ)!

聖者になんてなれない。そう認めるしかないじゃんか。残念ながら、世の中の政治家たちの大部分もそうだと言えるでしょう。

怠慢な豚の誕生と権力の腐敗を防ぐためのたった一つの方法。

 

 

それは衆目に晒すこと以外にありません。

全てを多くの目でチェックしてもらうということ。

全ての権力は”絶対に”腐敗する…そう、あなたのチェックがなければね!!の巻。

 

 

1ヶ月5kg減目標。

ダイエットは明日からとか言ってるからダメなんだな。

今日から開始や!

本日はこんなところで。また明日!

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三浦 ひらく

三浦 ひらく -PROFILE-

世界を暮らしやすく楽しく変えるため、相棒ひらくマと一歩ずつでも現状改善していくために日夜ハゲむ、1978年生まれの岡山県津山市議会議員。選択肢の多い社会を目指し、政治も手段の一つと捉え、地域振興、多様性理解促進、生きづらさ解消、表現の自由を守るための活動、インフルエンザ脳症撲滅、臓器移植意思表示推奨などをライフワークとして活動している。

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