未来拓く、みうらひらくです。
あんな髪色にしていたのならハゲるよソリャと言われた、みうらひらくです。
昨日のエントリーのアイキャッチ画像で髪の毛の色がピンクなのは照明のせいではなく…実際どピンクでした。
様々な色を地毛を使って表現したものです。
金、銀、赤、緑…レインボーカラーにしたのは浜崎あゆみより俺の方が数年早かった。
うん、そりゃハゲる。
テクノロジーの進歩は、かつては魔法のように感じられたことをいとも簡単に表現できるようにしてしまう。
一時期プログレの世界に傾倒した私はピンク・フロイドなども好んで聴く。
彼らのライブパフォーマンスは圧巻だったそうだ。
音の魔術師などとも呼ばれ、演出が凄かったとか。
ただそれは当時の最先端技術を取り入れていたことと無関係ではないだろう。
もちろん、ピンク・フロイドにケチつけるつもりなどない。
かつて鮮烈な印象を受けた人たちの経験を否定する積もりも決してないが…SE(効果音)の凄さとか、ステージ上での演奏面以外での演出は…現在ならもっと強烈なインパクトを生み出すことが可能なのではなかろうか。
要するにピンク・フロイドが今の技術を駆使すれば、かつての表現よりももっと凄いことやってくれるんじゃないのって話。
それは違う!ってアレルギー反応が出るのは想像がつく。
確かに単純比較するべきものでもないかもしれない。
そもそもどんなタラレバ話なんだって感じですが、案外とこの辺りはヒントになると思う。
時代を超えて愛され続けているものには理由がある。
ピンク・フロイドの全盛期は意見が分かれるかもしれないが、ビルボード200に15年間ランクインし続けたギネス公認記録を持つアルバム”狂気”は1973年発売。
俺生まれてねぇ。
長い年月を経てなお残っているものには強さがある。
残るべくして残っているわけです。
そこに新しい技術や考え方を付加していくことは”悪”なのでしょうか?
例えば自然遺産的なものに人間が手を加えることは、悪いことだと言われがち。
難しいけど、そこ完全否定しても始まらないんじゃないのっていう気持ちがあるのも事実なのです。
ある程度は”整備”してるじゃんって感じちゃうわけで。
大好きな漫画のセリフでも引いて締めようか。
寄生獣。
先だって映画化された有名なマンガの中に、こんなセリフがあります。
わたしは恥ずかしげもなく「地球のために」と言う人間がきらいだ…なぜなら、地球ははじめから泣きも笑いもしないからな
まぁ、そもそも発言者は人間ではないのだが。
しかしこの発言は含蓄があるセリフで、色々と置き換えることができる内容だと考えています。
例えば国や都道府県、市区町村といった集まり…会社や家族だってそうじゃない?
個人の集合体としての概念であり、泣きも笑いもしない。
人間至上主義だと胸を張る積もりはありません。
ただ所詮、人間は人間であることからは逃れられないという事実を受け止めた方がベターだとは考えています。
理想の姿で綺麗なまま生きていくことは難しい。
だからこそ、なるべく自身が考えるような自分であろうとすることに意味があるのかもしれません。
本日はこんなところで。
また明日!