未来拓く、みうらひらくです。
トイレのドアすら開け放す、みうらひらくです。
これ以上ない換気方法だろう。文字通り、空気を変えるわけだ。
その昔、彼女と半同棲していた友人からトイレのドアを開け放したままで用を足すという話を聞いて(彼女はそれを嫌がり、彼はその彼女を見て喜んでいた)、何てゲスな男なのだと思ったものだ。彼は…俺よりも先にオープンドア派を立ち上げようとしていたのだろうか?
ちなみに今は公務員です、その彼は。俺が「友人の話なんだけど…」という話は半分程度は俺自身の話ですが、これは友人の話です、いやマジで。
一昨日のエントリー…世間では希望だの野合だの騒がれておりますが、要するに俺は新たな選択肢を立ち上げたということだYO!
難しく考える必要はない。オープンドア派は自由な派閥だ。たちあがれJAPANというキャッチは言うまでもなく”たちあがれ日本”というかつて存在した政党へのオマージュ(?)であり、そこには様々なアイロニーが込められている。
昨日のエントリー自体、壮大な比喩であると言える。当てはめるべき二元論が世の中には転がりまくっているのだ。いくらデジタル化が進んでも、この世界は白か黒かだけで成り立つほど単純ではない。
俺が提案するのは新しい第三極だッ!
勘の良い読者諸氏ならお気付きのようにコレは政治の話であって下ネタではない。男か女かだけで全ての人々をカバーすることができないように、政治も二大勢力だけで成り立つものではない。必ずマイノリティーが存在するし、集団に所属していたとしても、全て納得している者などほとんどいないのが現実であろう。
受け皿がいる。実は圧倒的に多数派である、自分自身の意思を政治に反映させられない人たちのための受け皿が必要なのだ。
その受け皿となるのが…そう、オープンドア派だよチミ。
政治なんて堅苦しいものに関わりたくなくても全然構わない。何か違うと思ったら出ていっても構わない。その場に留まりつつ否定しても構わない。黙っているのも自由である。
常時扉は開かれている。出入りは何度でも自由だ。具体的な話をしようがしまいが、それすらも自由、誰かに委ねるのも勝手なのだ。考え方の問題。政治自体は目的ではなく単なる手段である。
政治は私たちの暮らしをより良くするためだけに存在する。
本当に目指すべきは目的達成なのだから、そのためにコスパの良い手段が存在するなら、政治に限定する必要はどこにもない。新しい手段を考えたって良いのだ。それがアートだろうがライフハックだろうが、全ては自由なのである。
本日はこんなところで。また明日!