未来拓く、みうらひらくです。
潔さの足りぬ男、みうらひらくです。
スパッと切ることは簡単じゃないよね。多くの人は損切りに慣れるまでに時間を要し、結局慣れられない。今日は一昨日に書いたエントリーの続き的内容を綴っておこう。
読む人は読むし、読まない人は読まない。
これは全ての読み物について言えることである。世界一読まれていると言ったところで、興味がない人にとっては聖書も電話帳も大差あるまい。
ちなみに上記の記事を書いてみた後の周囲の人の反応として、意外にも(?)広報紙は絶対に必要だという声は少なかった。ゼロではなかったが。無駄の削減に繋がるのであれば、検討余地は大いにあると感じてくれる人は少なくないと思う。
広報紙の発刊自体が無駄だと言いたいのではない。欠かさず熟読している人もいるし、毎号保管している人もいるかもしれない。ただ、その情報全てが生活に”必要な”情報だと言えるだろうか?
公金を使って行うサービスに少しだけ携わらせていただいている人間として、難しさを感じるところではある。要するに”それ公益に適う?”ってことだ。
ズバリ言おう。
新聞同様に、購読料取ったら良いんじゃない?例えば携帯電話。毎月の使用料金が気にならない人は稀だろうが、紙の明細書は有料だ。あれと同じ感覚。印刷物の制作には多くのコストが掛かる。そのコストは読まない人も負担すべきなのだろうか?
もっと踏み込めば、広報紙の読者の中には”届いているから読んでいる”という層も少なからずいるのではないだろうか?お金を払ってまで読みたい内容であるか否か、そこを考えてみてほしいのだ。
なくても困らないって人、結構いるんじゃないか?
行政、自治体のサービスは無料であるべきダー的な拒否反応が容易に想像できるけど…そんな神話はもはや持続不可能である。無駄なコストのカット、財政規模を圧縮していくことは必要不可欠な将来設計だ。
ってか…無料だと思い込んでいる自治体のサービス、本当は全然無料じゃないからな!ええ、全て公金で賄われております。人件費はもちろん、あらゆる経費は公金であります。その中には自分たちが払った税金も含まれてることを忘れちゃイカン。
公金の使われ方は、公益に適うものじゃないとね(キリッ)!
100%の人に適合する利益などあるわけないのも事実だが、広報紙に限らず…こうしたちょっとした修正ポイントは結構身近に転がっている気もするのです。
これってどうなの?みたいな話があったら是非、教えてやってくださいませ。

本日はこんなところで。また明日!