愛されるということ。応援したい人が帰りたくなるようなまちへ。

未来拓く、みうらひらくです。
18歳から33歳まで東京で暮らしました、みうらひらくです。

津山から若者が出て行くのは、ある意味で当然です。若い頃は特に、都会への憧れは多かれ少なかれ皆が持つものです。それをどう消化するのも個人の自由。

しかし若者が次々とまちを出て、そのまま帰ってこないような場所は…廃れていく一方であるのは間違いありません。

地域の将来を守るため…つまりツヤマノミライのためには、また帰ってきたいと思えるような津山であることが大切だと考えております。

日本全国様々な自治体と同じように、今後ますます少子高齢化・人口減少が進んでいくことが確実視される岡山県のイナカマチ・津山市でも、その課題への解決策が求められており、それは今まさに私たちが直面している危機なのです。

そんな津山市から、若者がまた1人出ていきます。

かつて共に多くの仕事に取り組んだ仲間が、志を遂げるために都会へと出ていくことになり…その送別会に参加してきました。誰にでも愛されるキャラクター、思わず応援したくなるような人柄からは、一回り以上年長の私自身も多くを学ばせていただいたと思える人でした。

実のところ…大人が子どもの自由を制限することに、私は基本的に反対です。

子どもの頃から自分自身がそう感じていたように、教師となるべき大人たちが教え諭すことは必要に応じてあるべきでしょう。しかしながらできる限り自主性を重んじることこそが、今後ますます多様化していくと思われるライフスタイル、人の生き方に対応した教育となるのではないでしょうか?

そして大人と子どもとの関係以上に、成人した若者の可能性の芽を年長者や周囲の人間が摘んでしまうようなことは、決してあってはならない話だと思っているのです。

若いうちにしか挑戦できないものが、世の中には厳然と存在します。

もはや若いとは胸を張って言えない年齢の私ですが、40にして政治の世界に挑むということ…これも私が現時点で60歳であったなら、恐らく選択肢にはなかったでしょう。

自己決定権は、自己が有するものです。

誰かに何かを強制されることなど、あってはなりません。

日々あたりまえのように享受し、感じることすらないかもしれない自由を守ること。それこそが我々が幸せに生きていくために必要不可欠な、政治の使命だと考えております。

当ブログで自由に情報発信できるのも、日本という国では表現の自由が保障されているからであって、国が国なら私が書いている内容も生命の危機を招くかもしれません。

若者が世界に出れば多くの知見を得ます。様々な経験や繋がりを積み重ねて、ひと回りもふた回りも大きくなって(太るという意味ではありません)、やがて何かの拍子に戻ってこようと思えるような”ふるさと”であり続けること。

津山市を、生まれ育った人にとってはもちろん…そうでない人にとっても同様にそう感じられるような場所とするために。

つまり愛されるまち…応援しようと思ってもらえるような自治体にしていきたいのです!

そのために力を尽くしていきたいと考えているのが、みうらひらくなのです。

本日はこんなところで。また明日!

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三浦 ひらく

三浦 ひらく -PROFILE-

世界を暮らしやすく楽しく変えるため、相棒ひらくマと一歩ずつでも現状改善していくために日夜ハゲむ、1978年生まれの岡山県津山市議会議員。選択肢の多い社会を目指し、政治も手段の一つと捉え、地域振興、多様性理解促進、生きづらさ解消、表現の自由を守るための活動、インフルエンザ脳症撲滅、臓器移植意思表示推奨などをライフワークとして活動している。

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