”できる限り”の意味わかってる?不要なマスクを受け取る理由。

未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。

ロックの日の今日はアベノマスクが届いた。

写真すら撮っていない。マスクは流通量が増えてきたが、新しい生活様式の必需品。多くの人にとっては有難い話だろう。しかし、俺がコレを使うことは恐らくない。

単に間に合っているからだ。

パッと見たところ虫など付いていないし、カビも生えていない。

使えないのではない…必要がないだけだ。

1ヶ月以上前…それこそマスクがどこに行っても売っていなかった頃、オリジナル作品の布マスクをプレゼントしてくれると言ってくださった方が周囲に何人もいた。空気を読まず(本当は読んだ上で敢えて無視するわけだが…)そんな折角の厚意をお断りしてきた過去もある。

私、マスクをしませんから!

…って感じで、お断りしてきた。いや無論、布マスクをしないという意味だ。もっと必要としている人の元に届けていただきたいと言葉を添えて、私には不織布のサージカルマスクが十分にありますので必要ないのですということをお伝えしてきた。備蓄していたわけだ。

もちろん、そんな風に気遣っていただけること自体は非常に有難いことで感謝している。厚意は黙って受け取った方が良いという考え方もあるだろう。

こんな私であるから、こんなに可愛くても可愛げがないと言われることはしばしばある。

だが…俺はその表面上のお付き合いや、見せかけだけの優しさや、意味のない施策が大嫌いなのだ。

何のためのマスクなのか?

誰のためを考えているのか?

以前、お土産のことを書いた際にも同じように表現したが…私には、善意の押しつけは不要である。こんな私のことをよく知っている付き合いの長い友人などの中には「私の自己満足に付き合うために買ってきた物を貰って!誰にあげても良いから!」と言ってくれるような奇特な方もいる。

そこまでぶっちゃけてくれたら、気持ちよく受け取る。

繰り返すが、たとえそれが善意に由来するものであっても不要なものは不要だ。

だから私は、私自身がお土産を買うときはスーパー悩む。悩みに悩んで…あげる相手のことを考えて、貰う方の気持ちを想像して…それで選んだ物を買う。

ま、病気ですよ多分。

お土産には何を買う?手土産には何を買う?貰って嬉しいものは?

2019-07-23

聖書や論語にもこう書いてある。

『人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。』

『おのれの欲せざるところは人に施すなかれ。』

時を話を戻そう。

政治で言えば、あらゆる人たちのニーズに全て応えていくことができれば…そりゃ、皆ハッピーになるのは間違いない。しかし本当に支援が必要なところに必要なだけの支援を、個別最適化して無駄なく迅速に届けるというミッションを完璧に達成することは、極めて困難なのだ。

アベノマスクのことをもう一度思い出して、考えてみて欲しい。

マスク欲しいマスク欲しい→マスクないマスクない→マスクよこせマスクよこせ…ってなっている人たちが相当数を占めるような集団に対して。

いちいち「お宅はマスク要る?何枚必要でっか?」などとオーダーを聞いて回り、その要望に応えて配っていくわけにはいかないことは、明らかである。

いや、本当は…できる。やろうと思えばできる。

ただ、それには莫大なヒューマンリソース、金銭的コスト、そして時間…信じられないような対価を払うことが必要になるだろう。

「え、布マスク配布にこんなにお金使ったの?」今以上にそう感じる人が多くなる結果が目に見えている。

ハッキリ言って、国政でも都道府県政でも、市区町村政でも同じことだが…全員が納得するような施策など、存在しない。

集団の構成員の中には利害関係が対立する人もいるわけだから、当たり前の話だ。それでも、何もしないという選択は実際には政治には許されない。何もしないなどと言おうものなら…物凄い”圧”が働く。

政治は何かをしなくてはならないのだ。

ただ待つことが許されないのだ。

時間が全てを解決してくれる…?

それは嘘だ。

もしアナタが全知全能の宇宙の創造神で、時間という概念が人間のそれと大きく異なるのであれば話は別だが…人間の時間には限りがある。

大きな視座に立って物事を見ること…そうした判断が求められることは政治には時としてあるだろう。だがそれも、せいぜい数百年程度の話。無為自然でいることは、現代社会に生きる我が国の人間には不可能な話なのだ。

それであれば…みっともなくても足掻くしかない。

できる限りのことを、やっていくしかない。

勘違いするな。

できる限り、という表現は言い訳には決して使えない。

できる限りだ…限界までやって初めて、できる限りだ。

できる限りというからには全力を尽くすことなど当たり前。

常に全力で、できる限りのことを実現すべく、取り組んでいかねばならない。

これが今の俺の政治です。

津山市議会議員になって、1年が経ちました。2度目の6月定例会の一般質問…そんなことを思いながら見てやっていただけますと幸いです。

今回実は言いたいことを言えたわけではなくて…制限やトラブルが色々とあったので、見る人が見たら首を傾げる内容の箇所もあるはず。裏話はまた後日…少しずつ出して行こうかね。

出来ることには限界がある。

しかし津山市の政治に携わっている私たちが、国や県の支援が届かないような人たちをサポートするきめ細かな仕組みの構築、維持、制度設計をよりベターなものにしていくための取り組みをあきらめてしまっては、市民にとっての最後の砦がそこで終わってしまう。

だから今後も…行政支援の網の目、セーフティネットからこぼれ落ちてしまう人が出ないように、そういう人が1人でも少なくなるように… 一つずつでも問題解決していくことで、ツヤマノミライに資する仕事を積み重ね、子どもたちに胸を張って見てもらえるような津山市議会にしていくためにも、尽力していきます。

できる限りなッ!

それでは本日はこんなところで。また明日!

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三浦 ひらく

三浦 ひらく -PROFILE-

世界を暮らしやすく楽しく変えるため、相棒ひらくマと一歩ずつでも現状改善していくために日夜ハゲむ、1978年生まれの岡山県津山市議会議員。選択肢の多い社会を目指し、政治も手段の一つと捉え、地域振興、多様性理解促進、生きづらさ解消、表現の自由を守るための活動、インフルエンザ脳症撲滅、臓器移植意思表示推奨などをライフワークとして活動している。

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